下界では、夏の名残の花と秋がすれ違うように共演していた。山野の花もリンドウの仲間が終わればまた来年ということだ。
遅咲きの種なのか、小型のヒマワリがまだ元気に花をつけていた。うちのはすでに種を収穫して、冬季限定開店のヒマワリレストランに備えて備蓄済みである。
ドングリと並ぶ里山の山野の実りと言えばクリ。これまたいがが弾けて落果しないと口にするのも難しいが、地面に落ちてしまえばいがに包まれていようとも関係ない。クマは掌、イノシシはその頑強な鼻先で器用に開いて実を取り出して食べている。
山に入れば原種のシバグリ..いわゆる山栗のこと..だが、農村の集落周辺では粒の大きい品種なので、人があまり食べなくなって放置されているクリの木は、動物たちにとってはさぞご馳走のなる木に映っているであろう。
最後まで頑張っていた実もほとんど落果してしまった。人が拾うのが早いか、動物たちの口に入るのが早いか、農村部では争奪戦となることもある。
ほとんどの生きものが好物とするドングリは、本来なら落果するまで待たなければならず、樹上にある限りカケスやリス、それにクマなど限られた生きものだけのもとなる。
それが台風で大風が吹くことで落果が早まり、ネズミやシカ、イノシシなど誰もが労せず口にすることができる。これぞまさに台風様さまの功と言えよう。
青くみずみずしいコナラのドングリは、とりわけクマの大好物。わざわざ木に登らずとも食べられるならこんな楽な事はない。
ただこんな農道上に散乱しているケースでは、ネズミやシカの口に入ることがほとんだ。このドングリたちも数日かけて徐々に姿を消した。
大局的に見て台風が人間社会に被害しか及ぼさないことに異論はない。その通り道で山を崩し建屋を壊し、そして人の命を奪う。
直近の台風のみならず、過去に受けた被害が治癒することなく続いているケースがほとんだろう。そういう意味で天災には違いない。
家の周囲を点検していて、裏手のミズキが折れているのに気づいた。結構太い枝であったが、上から裂けるように折れている。
枝の付き方や風の向きによってたまたま折れたようだが、台風のような大風によって折れたりや倒れたりする木には、それなりに功罪がある。罪はもちろんそれによる二次被害だ。折れた枝が通行人に当たったり、倒れた木が建物を損壊するなど。
では功はと言えば、それまでそこにあったものが無くなるので、例えば森の中ならばぽっかりと空間でき、そうすると今まで当たらなかった日光が射し込むことになる。
林床に日光が当たれば、次の芽生えのチャンスが平等に生まれる。そこを巧みに生き延びる術を植物たちは備えているので、我先にと手を広げるごとく芽を樹冠に向けて伸ばすことだろう。
新しい芽生えはそれを求める生きものの糧となる。それはつまり新たな命のつながりを生むことに他ならない。そうして過去から綿々と森がつくられ、そして受け継がれているのだ。
先日も書いたように今回の台風18号は風台風だったので、近所の防風林の気になっていた木..半分ほど枯れ木状態だが..を見に行ったところ、倒れずに無事残っていた。
実はこの木はアカゲラが何年も続けて営巣していて、毎年子育てに成功している。朝通りががかると警戒して幹の裏に隠れるというやり取りをもう何十回と繰り返しているので、何となく親近感を感じているのである。
ただ枯れた部位は結構傷んでいるので、次の大風で倒れるかもしれないが、まあそれこそは自然の成り行きというものだろう。