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北海道には本州のツキノワグマとは別にエゾヒグマが生息している。ブラキストン線である津軽海峡を挟んで住み分けしているのだが、本州が大陸とつながっていた時代には、本州にもヒグマは生息していたのだ。その名残というか、その当時の生物相は現在のロシア沿海州の森に見ることができる。

先日「ブナの実を好むツキノワグマ」のイメージをステレオタイプと書いたが、実は北海道のヒグマにも「サケやマスを獲って食べる」という典型的なイメージがある。これは特にカメラマンに多く見られる傾向で、世界自然遺産の知床には今の時期は毎日のように大砲抱えたサンデー毎日なカメラマンで賑わっている河川がある。

この9月にヒグマの食性分析について北大の成果発表があったが、それによれば、知床に生息するヒグマ全体の食性に対するサケの貢献度はわずか5%とのことだ。世界自然遺産として保護されている知床でさえその数値なのだから、本州に比べてサケの遡上が多い北海道といえど全道的にはさらに低いことは容易に想像がつく。つまり、サケを獲っている姿はヒグマのほんの一面、それも限られた場所に住む個体に過ぎず、大半のヒグマはツキノワグマ同様に強い雑食性であるということだ。

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左上:知床の河川でサケを捕まえるヒグマ
右上:アラスカ州ブルックス滝周辺でサーモンを狙うグリズリー
下:サケ・マスを狙うクマを狙うカメラマン(最盛期はこの比ではない)

確かに川に入ってサケを捕食する姿は豪快であり、写真として絵にもなりやすいのだが、それはロシアや北米でのイメージ..それとて河川や海岸、湖沼周辺の個体群に限られる..であり、日本のヒグマの正確なイメージを現すものではないのだ。知床に集まっている連中がそんなことまで考えて撮影しているとはもちろん思ってはいないが、見る側も正確な情報を知っておかないと、往々にして上っ面だけ、イメージだけの価値観に囚われてしまい、クマの本質を見失ってしまうだろう。

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林野庁の調査によれば、ブナの結実予測ではこの秋は不作なんだそうだ。もっとも昨年は数年の一度の豊作年だったので、この春の調査結果を聞かずとも素人にもその辺は予想がつく。

この手の話がある度に書くことだが、そもそもクマはブナの実だけを好物として食べているわけではない。基本的に何でも食べる雑食である。クマはその時、沢山ある食べ物を、集中的に食べる傾向が強いため、苦労して探しまわった果てに見つけた食べ物に強く執着するのだ。

夏の終わりから秋にかけて、人里に「出没」するとか、大量「発生」するとかの表現をよく耳にするが、クマにしてみれば餌探しの過程でたまたま通りがかり、偶然?そこに食べ物があったので食べていますって感じなのが実情だ。地域によって当然その食性は異なるが、人里周りで柿の実が熟れていれば柿の実を、山際にクリがなっていればクリの実を、山中にドングリが結実していればどんぐりを、養魚場にマスが泳いでればマスを、川にサケが遡上していればサケ(これは特殊な例だが)を、あればあったなりに腹一杯になるまで食べるのである。

何が言いたいのかといえば、すべてのクマがブナの実を欲して動き回っているのではないということだ。クマの食性と餌資源となる植生とは必ずしも一致しないのである。それをステレオタイプに、時にセンセーショナルに騒ぎ立てるのは見ていて滑稽でさえある。

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先週末にちょっと風が強く吹いた影響だろう、農道上に青どんぐりが散乱していた。ブナだけでなくドングリも凶作に近いような話を聞くが、赤城高原では例年とそう変わらない。赤城高原は戦前より開拓で人が入っていたため、薪炭林やほだ木として活用された名残でコナラが多く見られる。写真のドングリもコナラのものだ。

クマがドングリを食べると聞いて、林床に落ちた茶色の成熟したドングリをイメージする人が多いが、クマが好んで食べるのは写真のようにまだ青いドングリである。夏から秋にかけて、ミズナラやコナラなどに登って青ドングリを枝から直接食べるのである。もちろん落ちたドングリも食べるが、まだ枝についた青いうちのほうが水分があって柔らかく、クマにとっては美味いはずである。

ちなみにその青ドングリを食べる過程でバキバキと枝を折って手繰り寄せ、食べ終わると尻の下に敷いて、という動作を一箇所で繰り返し行うため、クマがしばらくいた場所には枝が折り重なってまるで鳥の巣のようになることがある。実際そこでそのまま寝てしまうクマもいるため、それをクマ棚と呼んでいる。

まだ緑が濃い時期にクマ棚を探すのは難しいが、晩秋になって森が落葉し始めると簡単に見つけることができる。青葉がついた状態で枝を折られると、落葉期になっても折られた枝の葉は落ちずにそのまま枯れるため、遠目にも目立つのだ。

海のクマ

2014/6/28

日本には生息していないが、シロクマのイメージとして動物園では馴染み深いホッキョクグマ。私がペンギンの仲間と並んで野生種として一度は観てみたいワイルドライフの筆頭である。

ホッキョクグマは20万年ぐらい前にヒグマから分かれた、ほ乳類としては比較的新しい種である。そういった事情からか、ヒグマとは見た目の印象はだいぶ違うものの、互いに交雑してもハイブリットとして生活していけるほどいまだに近縁であり、実際にそういった事例はカナダ北極圏では散見される。

餌資源をアザラシに依存するホッキョクグマが、その生活史ともども海に依存しているの知られた事実である。そんな彼らと陸棲のヒグマの接点が増えているということは、海で餌が獲りづらくなったことの裏返しでもあるわけだ。

地球温暖化の影響と言われるように、北極海で通年を通して氷が減少、または海の開ける時期が早まっている事実はここでは割愛するが、海に閉ざされる期間が短くなることは、北極海に航路を求める人間にとってはありがたいことであっても、その為に進化してきたホッキョクグマには迷惑千万な話であることは明白である。

このまま氷が減り続けると、再びヒグマに戻るか種として絶滅するか、そんな選択が彼らを待ち受けていることになる。訳あって分科した種が、その求めた環境の変化によって絶滅に向かうことは、地球の歴史の中で何度も繰り返されてきた事実ではあるが、我々人類の生活圏の拡大によって引き起こされるとするならば、ワイルドライフを愛するものとしては複雑な気持ちにならざるを得ない。

あくまでGoProのプロモーション映像だが、最近観たショートムービーとしては秀逸な出来だと思う。ホッキョクグマの学名「Ursus maritimus」は海のクマを意味するが、まさにそれが短い映像の中に表現されている。

ただ、この映像を見てホッキョクグマは単にお泳ぎが上手いクマなんだな、で終わってはいけない。どんなに泳ぎが上手かろうとも、海を終の住み処とするアザラシには到底及ばないのだ。ホッキョクグマが泳ぎに優れたクマであるのは、あくまで海氷間を移動するために習得した能力であり、これをもってアザラシを狩るわけではない。

もし、アザラシを狩るためには海が凍るという状況が必要なんだ、そんな深読みがこの映像からできるようになれば、ワイルドライフのその圧倒的な生きざまを映像に残すという作業自体、途方もなく手間のかかることだとしても、意味があることだと思えてくる。

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旭山動物園のホッキョクグマ展示室の廊下に描かれた絵もまた秀逸だ。展示の斬新さに話題が集まる同園だが、そこに至る導線への配慮も忘れてはならないだろう。

クマ棚少ない

2013/12/28

観察中にハンターに声をかけられたので、これ幸いと情報収集したところ、予想通りこの秋は山の実りは悪くなかったようだ。片品の知り合いの猟師も似たようなことを言っていて、ミズナラやコナラなどどんぐりは出来が良かったらしい。特に山中のどんぐりが良かったようで、里山界隈でのクマの目撃例は少なかった。もちろんだから駆除数が少なかったかといえばそんなこともなく、例年並み程度は捕殺されたとも聞くが。

よくクマ棚の数が少ないと、クマ自体も少ないと勘違いしている輩がいるが、クマ棚とクマの数に相関性はない。クマ棚が一つの斜面に沢山あったとしても、そのほとんどは一頭ないし親子など身内で作ったものだ。クマにもナワバリがあるので当然の話しである。ただ、例外なのが芽吹きの頃。冬ごもりから明けてすぐの頃は、争いよりも食欲優先と見えて、同じ斜面に複数のクマが見られる時がある。

クマ棚を目にするのが落葉期の冬から春にかけてのためか、棚が出来るのは秋だと勘違いしている人がいるが、クマが木に登ってドングリを食べるのは、盛夏から秋のはじめにかけてのことである。まだ葉が青いうちに枝が折られると、葉が落ちずにそのまま枯れるため、密集して枝が折られた場所がクマ棚として目立つようになる。理屈から言えばサルがやっても同じことになるが、移動しながら餌を探すサルと違ってクマは1カ所に留まる傾向が強いため、より大きな棚ができることになる。

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しかし、その頃はまだ実が青くそんなに旨いとは思えないのだが、実の出来不出来を知っているクマにしてみれば、餌の競合を避け、先食いしている状況にあるわけだ。では誰と競合しているのかといえば、昨今増えた増えたと騒がれているイノシシとシカであることは明白だ。蹄の連中は木に登れないため、落果したドングリを狙っているわけで、クマにしてみれば落ちる前に食べてしまう戦略をとっていることになる。クマ棚とはその過程できる産物というわけだ。

と言うことで、クマ棚の数が少ないとはどういう状況か、それはクマが木に登る必要がないことを意味する。落果したどんぐりを食べて事足りるということは、体力を使うを木登りをすることもなく、競合他種と分けあっても問題ないレベルの餌量であるということなのだろう。

冒頭のハンターいわく、この冬はクマが穴に入るのが早いとも言っていた。十分に栄養確保ができたクマたちは、本格的な積雪を前に、お気に入りの冬眠穴に早々に逃げ込んていることが想像できる。用心なく安易な場所に潜れば、運悪く穴撃ちされてしまうこともあるが、そこはそれ野生の勘で犬にも近づけないような斜面を選べば安心だ。

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20130903

この夏も結構あちこちでクマ騒ぎがあったが、

久しぶりに出掛けたいつもの林道入口にも注意喚起の看板が下がっていた。

この手の看板は大抵は季節を無視して一年中出しっぱなしなケース多く、

それだとオオカミ少年状態で効果の程はいい加減疑問なのだが、

この地区は割とタイムリーに出したり引っ込めたりしているので、

良く判っている担当者がいるのだろう。ま、何事も慣れが一番怖いのである。

余談だが、この手の絵柄は煮ても焼いても食えないような図案が多いが、

このイラストはなかなかセンスが良いように思う。

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クマと聞いてその名を知らない者はいないだろう。

日本国内にはツキノワグマとエゾヒグマの2種が生息しているが、本州以南でクマといえばツキノワグマを指し、北海道ならそれはヒグマのことを指す。それほどにクマは一般名詞化している生きものである。

テディベアやくまのプーさんなど愛くるしいイメージの一方で、山菜採りやきのこ狩りシーズンを中心に毎年のように起きるクマとの遭遇事故による凶暴なイメージ。クマは身勝手な人の思い込みによって、両極端なイメージを植え付けられた稀有な動物でもある。

ホッキョクグマや、北米アラスカ州の沿岸部に生息する一部のクマを除けば、クマの食性は植物食の強い雑食である。春ならば芽吹いたばかりの柔らかい若芽を、初夏にはフキなど草本類を、夏にはヤマザクラの実に代表される漿果類(ベリー類)、そして冬ごもり前の秋には脂質の多いどんぐりなど堅果類を好んで食べる。

日本でも北海道のヒグマ(ホッキョクグマはヒグマの近縁種だ)がエゾシカなどを襲う例は散見されるが、ツキノワグマに関して言えば、動物性たんぱく質の補給源のそのほとんどは、アリや甲虫類の幼虫、それに動物の死体に限られると言われていて、恐らくその見立ては大筋では間違ってはいない。

20130725

ところが、滋賀在住の動物写真家 須藤一成氏は、その考え方を見事にひっくり返すクマの映像を撮ることに成功したのだ。そう、ツキノワグマが積極的に他の動物をつけ狙い、そして捕獲するといういわゆるハンティングシーンである。もちろんシチュエーションはかなり限定的ものではあるものの、それはまるでサバンナでヌーやガゼルの子供を襲うライオンやチーターのごときシーンなのである。

撮影者である須藤氏自身もブックレットで語っているが、映像に記録された捕食とそれにまつわる一連の行動は、偶然に起きたことではなく、恐らくクマが本来持っているであろう狩猟者としての本能のようなものが、環境に適合して発動しているのだと思われる。チャンスさえあれば、その強力なパワーを持ってして、いつでも獲物を狩ることができるという潜在能力を示しているのだ。

何はともあれ、まずはツキノワグマが生きた獲物を狩るというこの事実を、本作品で是非ともご覧頂きたい。もちろんこの映像をもってして、だからツキノワグマはやっぱり肉食獣である、などと声を大にして言うつもりはない。すでに述べたようにおおよそ大半のクマは、大雑把に言えば葉っぱと木の実を主食とする雑食な生きものなのである。

ただ、生息地の環境とそこに住む動物相(とその動物たちの生活リズム)にある種の条件が揃うことで、他の生きものを捕食して命をつなぐという、その生きものが内包する本来の生態を垣間見せることがあるということに外ならないのだろう。

■音楽:小松正史

本作ツキノワグマの舞台となった伊吹山地。その豊かな自然と野生の営みの背景に流れるピアノソロ。森を吹き抜ける風やせせらぎの音など、自然環境音にしっくりとそして力強く沁みわたる美しい旋律が、観るものそして聴くものの心に響く。

本作の音楽は、環境音楽家である京都精華大学人文学部教授の小松正史氏協力のもと、同氏著作のCDアルバム『コヨミウタ』『Innocence』収録作品より構成されている。

小松正史オフィシャルサイトはこちら

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よっこらしょ

2013/4/15

20130415

あー、疲れた一休み、と言わんばかりの仕草はクマならでは。

もちろん本人にその気などないのは明白だが、

クマはどことなく人間くささを感じさせる動物だ。

そしてそれが愛くるしさと凶暴性の二面性を創り出す要因でもある。

以前のとねログのクマネタはこちら

それと以下は備忘録。

例年に遅れること半月、赤城高原では本日ツバメ初認。

なんか来るの妙におっせぇなぁ..

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クマが出た

2012/10/17

んだそうだ。それもうちの組内の班長の家で。

なんでも、このところずーっとイノシシに畑を荒らされていて、堪忍袋の緒が切れたとかで、有害駆除申請したんだそうだ。

さっそく猟友会がやって来て、畑の際に捕獲檻を設置して一週間ほど様子を見たところ、目的のシシでなくクマが掛かっていたらしい。そこで何より驚いたのは倅のヨメさんだろう。アプローチ路を探ったところ、小中学、保育園と子どもがフルセットいて、その彼らが日常的に出入りする場所を、クマは行ったり来たりしていたと言うのだから。

連絡もらったときは打ち合わせ中ですぐ抜けられず、あとで結果だけ聞いたのだが、体長は1mほどの60kg少々の若いオスだったとか。動物との共生を目指す我が村、いや、見つけ次第片っ端から駆除する我が村としては、当然のごとく若きクマは哀れ殺処分の運命に。

聞き取り含めちょっと調べたところ、クマの目当ては畑にすき込まれた未収穫のトウキビ。そう、つまりクマはシシの身代わりになって死んだのである。皮肉にもその当日の騒ぎでだいぶ人の匂いが残ったのか、シシによる畑荒らしはその後は止まっているようだ。

捕まえたクマにトウガラシスプレーなど吹きかけてお仕置きを施し、山奥に連れて行って再放獣する奥山放獣が今のトレンド。されど人的資源も無ければ予算も無い。無い無い尽くしで、何よりその気が無いのが一番問題。それに奥山と一言で言っても、我が村の奥山は赤城山であり、その奥山のさらに奥山は観光地だったりして、結局どこか余所の市町村に放すしかないのである。

でもそれを受け入れてくれる自治体など、同じ郡内といえどそう簡単に見つかるわけもなく、やはりここは県が重い腰を上げて仲介するなりビジョンを示す必要があると思うのだ。せめて農業被害を名目に、たまたま罠に掛かってしまって面倒だからと殺処分の憂き目にあう、そんな運の悪いクマだけでも何とかならんものか、ふと、我が家のコナラのドングリをみてそう思うのである。

クマが出た

2012/10/13

んだそうだ。

先日仕事で出向いた北部の某村で、道端でサルを眺めていたら、顔見知りの駐在が通りがかって話しかけてきた。これから現場に行くんだと憂鬱そうにぼやいていたが、これといって事件らしい事件もない寒村では、クマの出没がいちいち騒動なのである。時代が時代なら珍しいことでもないだろうに、けものごときに迷惑千万だと言いたいらしい。

この秋は山の実りがよくないとか何とか、ニュースネタのような当たり障りのない会話の後、白黒のジムニーと従属する一群は林道奥へと入っていった。それを見送って後、先ほどまでサルがたむろしていた林内へ入ってみると、隣接する落広林の林床にクリが落ちていた。

確かにドングリの実の付きは芳しくないようだが、クリは例年通りまあまあである。クマと言えば判で押したようにドングリやブナの実を食べてると思っている輩も多いが、連中は雑食なので、無ければ無いで他にあるものに手を出すだけである。それがたまたま民家の近くであったりすれば、昨今のクマ騒動の一端となったりするわけだ。

ともあれ、また要らぬジェノサイドなど起こさなければ良いが、そう人間がね..

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