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バブル崩壊後から現在に至るまでの、昨今のなるべく無駄を減らすという風潮は理解できるのだが、その行き着いた先が現在の医療リソースの不足等につながっているのは間違いないだろう。

昭和の高度経済成長時代のように、事務所の一番奥で一日中新聞読んでいる管理職というのも今となれば懐かしい風景だが、昔はそういう余裕を補って余りある体力が社会全体にあった。

何かを一方的に減らしていくのではなく、無駄をカバーできる余裕というか、バッファを増やすといった政策転換が今後は再び必要なんだろうなぁと、つらつら思う今日この頃..

OM-D E-M1 MarkIII / M.ZUIKO DIGITAL ED 40-150mm F2.8 PRO

南からの北帰行の途上だろう、近所の雑木林にはツグミとシメ、それにアトリが小群でうろついている。

一昨日辺りからクロツグミやサンショウクイが鳴き始めているので、そろそろ主役が入れ替わる頃合いかな。

カテゴリ:独り言,

もはや後の祭りではあるが、つくづく1月の時点で先手で手を打っておけば、ここまで国民が疲弊することも無かったって感じだな。

自分の手柄にすべくどうあっても東京五輪の今夏の開催にこだわり、アレノミクス失策をごまかすべく大陸からの春節インバウンド呼び込みにこだわり、約束を取り付けてしまった手前やむなく習近平の国賓来日実現にこだわって、その結果すべての対策が後手後手となってしまったのは火を見るより明らかだ。

アレさんはよくやっているとか、布マスク2枚でも嬉しいとか、よもやのヌケ作応援団が湧いて出ているようだが、政治は結果がすべてである。一生懸命やっているとか、頑張っているとか、そんなことで評価されるのは子供だけだ。

政治家は結果が出るまで昼夜を問わず寝ずに働き、国民の付託に相応に応えなくてはならない。高けぇ給料払っているんだ、やる気がねぇのであればとっとと身を引き、然るべき後進に道を譲りたまえ。それこそが国益に叶うというものだ。

OM-D E-M1 MarkIII / M.ZUIKO DIGITAL ED 8mm F1.8 Fisheye PRO
OM-D E-M1X / M.ZUIKO DIGITAL ED 300mm F4.0 IS PRO

朝こそ冷え込んだものの、昼前には気温も上がり、下界はいかにも春うららといった風情だ。赤城高原ではないが、ようやくツバメを今シーズン初認する。

新コロナ対応というほどではないが、デスクワークのスケジュールが合わず今年は平野部の桜は見逃しとなってしまった。

ま、仕方ない、桜は来春に期待しよう。

BLUE OWL

2020/4/4

森の賢者と称されるフクロウは主に夜活動する鳥である。冬季、地域によっては日中も狩りをするケースが見られるが、繁殖期を中心に夜間に行動するのが基本である。

多くの鳥の仲間が夜目が利かないのに対し、フクロウの仲間はネコのように夜でも目が見えるの特徴であるため、その力をいかんなく発揮するために夜の森を活動の舞台としている。

猛禽類のフクロウが餌動物としているのは主にネズミの仲間だが、常に捕食者に命を狙われる彼らもまた夜行性であるため、ネズミを狩るために夜でも行動できるよう目と耳を進化させてきたのだ。

そんな稀有な生きものの姿を写真に撮るためには、北海道のエゾフクロウのように日中ねぐらで休んでいるところを撮るか、狩場を特定してストロボを焚いて写し止めるかの二択になるだろう。

夜間撮影などこれはもうアマチュアに手を出せる状況でないのは、宮崎学氏の著作「フクロウ(平凡社刊)」を見れば、夜に活動する生きものの姿を捉えることがどれだけ困難かは、想像に難くないことがすぐに分かる。

それでもそこにいると分かっていれば、撮ってみたいと思うのがワイルドライフカメラマンの性だ。

うちの近所には最低でも4ペアはいることは引っ越してすぐに分かった。年によって差はあるが、時々家のすぐ近くで鳴き交わすこともあるので、その機会を虎視眈々と狙っている次第である。

OM-D E-M1X / M.ZUIKO DIGITAL ED 300mm F4.0 IS PRO / ISO6400

そんなこんなで、夜明けのオリンパスブルーに浮かぶフクロウの雄の姿を捉えることができた。

ストロボを使えば容易にその姿を捉えることができるのは分かっているが、あからさまにストロボ当てた写真が個人的に好きではないのである。そう、なんというか夜の鳥っぽくないのである。

そうなると、いくらデジタルカメラで高感度で撮影できるようになったとは言っても、真の闇では表現のしようもない。条件としてはデジタルカメラで撮れるギリギリの明るさが欲しいことになるので、必然的に明け方が狙い目になるわけだ。

そう上手い具合に明け方に同じ場所に姿を見せるとは限らないのだが、この冬は何度か同じ林縁で鳴き交わす声を特定できており、なおかつ夜明け前に東の空に雲が残っていない日を狙って待ち伏せをした結果、何度かそのチャンスをもらうことができた。

向こうからはこちらが近づく姿も足音..林床を歩くのでこればかりは消しようもないw..も、普通に見えて聞こえているはずだが、撮影可能な距離まで接近を許してくれたのにはひたすら感謝しかない。

それと、600mmの手持ち撮影でシャッター速度1/13でも手ブレなくピタリと止まるE-M1Xの手ブレ補正の威力にも、併せて感謝しなくてはなるまい。

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閉店セール

2020/3/28

民度の低いどこぞの都民のように買い占め騒動が起きたわけではないが、この冬用意していたヒマワリの種が終わってしまったので、先週のうちにヒマワリレストランは閉店させてもらった。恐らく営業始めてから最も早い店じまいと思われる。

例年なら春先にアトリがそこそこの数で立ち寄っていくのだが、この冬はそれもほとんどなく、積雪がなく落ち葉の中から目当ての餌を確保できていることもあって、他の鳥にも影響はないと判断させてもらった。

一応、地面に落ちている分と合わせて、閉店セールと称して種をバラしてないヒマワリをそのまま餌台の位置に置いてあるので、必要ならしばらくはそこから採っていくだろう。

OM-D E-M1X / M.ZUIKO DIGITAL ED 40-150mm F2.8 PRO + MC-14 / シメ

ヤマガラは姿を見せなくなったが、シジュウカラとシメはまだ家の周辺をうろついている。渡去が遅いシメは桜が咲く頃までは留まるかな。

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無能すぎ

2020/3/26

東京都の感染者が突然急増し始めたのは、やはり五輪の延期が既定路線化したからなのは間違いないだろう。

一年先送りになったことでストッパー..感染者が急増しているわけではない感を演出したい政府の印象操作..が外れたので、これで誰にはばかることなく着々とグラフは右肩上がりとなり、首都封鎖が現実的な話になるのは時間の問題だな。

さて、新コロナへの各国の対応は様々だが、総じては「国民全員に現金を直接配って一定の収入保証するから頼むからフラフラ外出しないでくれ」というものだ。

それが我が国ときたら、「貯金されちゃ困るので旅行助成金や商品券を配るから街や観光地に出かけて買い物してね」ということらしい。つまり国民の生活ではなく「選挙で組織票を投じてくれる既得権益団体」に対し助成するアピールで、国を上げての感染拡大を奨励するという愚策なのである。

そのタイミングでまったくやる必要のない全国一斉休校を思い付きでぶち上げて、批判が高まると今度このタイミングで解除する?とばかりに何となく国民に「もう大丈夫感」を与えてしまい、案の定皆気が緩んでフラフラ花見に外出してしまう事態になってしまっている。

国内の感染拡大を助長しているのは、首尾一貫せず行きあたりばったりで愚策しか打ててない、そして自分たちの選挙のことしか頭にない無能な政府と与党なの間違いない。

OM-D E-M1X / M.ZUIKO DIGITAL ED 40-150mm F2.8 PRO + MC-14

何となく夏羽に換羽中っぽいカシラダカ。

この冬はアトリは少なかったが、カシラダカは例年と変わらない印象。彼らはそろそろ渡去の時期かな。

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すでに延期が既定路線の東京五輪。延期より中止のほうが結果的にコストは安く済む試算もあるらしいが、当事者である選手は別にしても、どうしても自分の手柄にしたいアレは延期にこだわるだろう。

にもかかわらず、無駄に終わる可能性が高い聖火リレーだけは何かに取り憑かれたかのように強行しようとするというのは、一体どういう了見なんだろうか。

相変わらず大規模なイベントは自粛要請を強いているくせに、仙台ではインチキ臭い復興聖火に見物客が5万人も集まるという信じられないことを容認しているのだから呆れる以外ない。

そもそも表立っての感染者数が日に20人程度だったのに、やってる感演出とばかり思いつきで全国一斉休校をおっ始めて経済を疲弊させたくせに、いよいよ感染者数と死者が増え始めたこの時期に突如一斉休校は解除して卒業式をしろとかふざけんなって話だ。

本気で今以上の感染の広がりを抑えたいのであれば、例外なく大規模な人の集まりを制限し、そのうえで徹底した補償を国の責任で行うべきだ。ダラダラと中途半端で小手先の政策は事態が長引くだけで、百害あって一利なしである。

OM-D E-M1 MarkIII / M.ZUIKO DIGITAL ED 12-100mm F4.0 IS PRO

家の近所でもちらほら梅が咲き始めた。ご多分に漏れず例年より一週間程度早いかな。

OM-D E-M1X / M.ZUIKO DIGITAL ED 300mm F4.0 IS PRO + MC-14

同じく近所の防風林では黄色い梅ことダンコウバイが咲いていた。こちらも例年より4〜5日早い感じ。

そしてウグイスが今シーズン初鳴きとなったが、これまた例年より一週間程度早い記録である。

世間では国民を欺き白々しい嘘をつき通そうとしている政治家のせこい悪巧みが話題だ。

あんな程度の低い人間性の欠片もないような輩が、未だにのうのうと国務大臣など務めていられる状況はまさに世も末である。ましてやそんな能無しとアホな官僚を庇うために、優秀な役人が命を断つなどあってはならないことである。

今や新型コロナウィルスによる国難とも言うべき状況にあるが、今どきのB級ドラマでも採用されないような恥ずかしいシナリオを見せつけられる国民にとって、果たしてどっちが国難なのかこの際よく考えたほうが良いぞ。

OM-D E-M1 MarkIII / M.ZUIKO DIGITAL ED 300mm F4.0 IS PRO + MC-20

ウソの名前の由来は、ヒーフーといった感じの鳴き声が口笛を吹くように聞こえることから、昔の言葉で口笛を吹くことを現す「うそぶく」である、という話は嘘ではなく鷽(ウソ)であるw

そんなウソが近所の雑木林に姿を見せるようになることも、田舎暮らしで春を感じる一つだ。

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冬の大寿林

2020/3/13

合併して今は市になっている隣村の調整池は、下界に下る際の行き帰りの時間調整やコンビニ飯を食らう場所として時々立ち寄っている。

大体いつもバタバタしているので、基本的に高速を利用して下る..高低差の話ね。交通網で言えば上るが正解..ことが多いが、先日も書いた通り時間に余裕がある場合はなるべく下道を利用してめぼしいところを覗いて回るようにしている。

特に湖沼や河川、池のような水場は赤城高原にはほとんど見られないので、水鳥を始めとした水辺の生きものが観察できる場所は、季節ごとの定点観察の意味合いもあって貴重且つ新鮮なのである。

OM-D E-M1X / M.ZUIKO DIGITAL ED 300mm F4.0 IS PRO + MC-20

ご多分に漏れずこの日もカワセミ目当てだったが、着いて早々目の前をチッチィーと鳴きながら飛んでいく様を1回見ただけであった。まあ30分程度しか時間に余裕がなかったので仕方ないけどね。

その引き上げ間際、足元の芦原にスズメがいると思ってシャッターを切ったが、よく見たらこの辺りでは珍しいオオジュリンだった。

夏羽の雄は黒頭巾を被ったような姿で、湿性の草地でチュリーンチュリーンと甘ったるい声で鳴く。越冬地の冬羽はそれこそ地味な色合いで目立たないが、つかの間、夏の北海道の原生花園を想像させてくれた。

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いくら何でも

2020/3/12

久しぶりに仕事で南関東へ足を延ばす。ウソがヌルデの実に群がらり、ウグイスがさえずる穏やかな春の日差しの中、今シーズン初認となるイワツバメが飛び、そして当然のように花粉も飛ぶw

この季節に野外でくしゃみが出るようになって4・5年経つが、それ以上は症状が酷くなるほど進行していないので、重症の人に比べれば楽なほうだ。

今回は家人から花粉をブロックするというスプレーを借りて対策を施しているが、これが意外に効果があるようで、今日はくしゃみが出ることはなかった。家人はそこまで効果は期待できないと言っていたが、症状が軽い人にはそれなりに効果があるのだろう。

OM-D E-M1 MarkIII / M.ZUIKO DIGITAL ED 12-100mm F4.0 IS PRO
OM-D E-M1 MarkIII / M.ZUIKO DIGITAL ED 30mm F3.5 Macro

遠くに江の島を望みつつ、南のほうはすっかり春だなぁと感慨深くふけっていると、通りがかりの農家の親父さんから「その辺もうヤマビルが出ているから気を付けて」と言われ、思わずズボンの裾をめくってしまったw

群馬ではどんなに早くても例年はGW頃なので、いくら何でもそりゃ早くね?

下界から戻る際、通り道にある某調整池に立ち寄ってみた。

ちょっと前に通り掛かった時に意外に近い場所にカワセミが留まっているのを見ていたので、もしかしてと思ってのことだったが、あいにくこの日は風が強くで小鳥類の姿はまったく無かった。

天気は良かったんだけどねぇ..

OM-D E-M1X / M.ZUIKO DIGITAL ED 300mm F4.0 IS PRO + MC-20 / オナガガモ

プロキャプチャで撮影した中の一枚。原理的に撮影開始..正確には記録開始だけど..のタイミングが早くなるので、コマが多いこともあって単純に連写するよりもベストな飛翔型を選択できるのが良い。

機械に頼るなど写真ではないような意見を目にする耳にする場面も多いが、写真はどう撮ったかよりどう撮れたかのほうが重要というのが個人的な意見である。

写真を撮る上で気分的な問題など些末なものであり、過程ではなく結果がすべてということだ。

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