ヒバリは赤城高原では春先に姿を見せる漂鳥である。
早い年は3月上旬にやって来ることもあるが、年によってはまだ雪が残っていることもあるため、そんな時は農道上に集まって「どうしたもんかねぇ」といった風情で、途方に暮れていることもある。
また、畑を起こしている最中に営巣を始めたりすると巣ごと鋤き込まれてしまうため、そんな時は一からやり直しとなるので難儀なものだ。
作物の苗が植え終わって一段落すると、一旦は農作業も落ち着く。そんな時分に営巣始めれば万事オーライである。
最初の一枚のみ、フジノンXF16/f1.4で撮影。
XF16はフルサイズ換算で24mm相当の画角となるハイスピード広角レンズである。24mmでf1.4の大口径レンズは、キヤノンのFDとEFをそれぞれ使ったことがあるが、キヤノンのは何れも寄ることができなかった。
XF16の素晴らしいところは最短撮影距離が15cmと、ほぼレンズ前玉直前まで近づけるので、広角マクロとしての使い勝手が良い。開放だとボケが硬い感じになるが、一段絞ってF2なら問題ない。
専用のマクロレンズもマウント毎に持っているが、積極的にマクロ域で撮影する機会はほぼなく、自ずから仕事でブツ撮りに使うのがほとんだ。どちらかと言えば、広角でグッと寄って撮りたい派なのである。
と言うことで、引いて良し、寄って良し、暗くても良しのこのXF16は、TMにとってはフジを使うキラーレンズの一つと言っても過言でない。
県北の標高の高い尾根へ上がってエアリアル。朝の内は何とか飛ばせたが、昼前には風が強くなってしまって早々に下山してきた。
それにしても、今の季節は残雪が腐っていて歩きづらいことこの上ない。下から見ていて雪があるのは判っていたので、長靴に軽アイゼンで登攀したが、そもそもズブズブ..品のない言い回しだとか国会でエラそうに能書き垂れていたが、お前が言うなってね..なんで滑る以前の問題だったw
稜線部ではルリビタキがさえずっていて、尾根を渡る風が気持ちいい。アカヤシオが点々とピンクの花をつける谷筋からは、コマドリのヒンカララも聞こえてきて、いよいよ野外活動に適した季節になってきたと感じる。
ん?何を撮ったんだ?あれ、クジラ?どうやって撮ったんだろう?なんて、少しでも観てる側に思わせれば、カメラマンとすればしめたものだ。どうせドローンを飛ばすならこんな映像を狙いたいね。
それにしてもシロナガスクジラはデカいなぁ。比べるものが何もない海原のシーンなのに、その巨大さを感じられるのは素晴らしい。
ついこの間まで雪が降っていたようが気がしていたが、早くも暦は皐月をめくっている、と受け取ってしまう自身がやや虚しい。
子供の頃は永遠に子供のままだと思えるほど悠久の時の流れに身をませていたが、大人になったと意識し始めた頃から、時間には限りがあると気付くことになる。
時間を無駄にしたくないと思う反面、無性に時間を無駄に消化したい思いに駆られるときもあるのは、人生無駄に歳取ったせいかw
いつの頃からか、鯉のぼりは自分の家の庭ではなく、こういったオープンスペースで泳ぐ姿を見かけるようになった。
まあ鯉のぼりなんてそれこそマイホームが夢の時代だった象徴のようなものなので、若いファミリーではジジババが用意してくれでもしないと、広げるのも仕舞うのそれなりに場所を取って困るというものだろう。
それに鯉のぼり自身も、仕舞われてひっそり朽ちていくよりは、余生をみんなで泳いだほうが八百万の神的な意味ではよろしいかもね。
県北の高標高地の山野で、ヤマザクラが良い感じになってきている。まだ芽吹きが始まってないような北向きの斜面でも、所々淡いピンクに色付いているのが遠目にも判る。
愛でることを目的として人為的に植えられた園芸種のソメイヨシノと違って、ヤマザクラはひっそりと佇むように自生していることが多く、桜という同じアイデンティティを持ちつつも、和のテイストは結構異なると思う。
ある意味両極端にも見える両種であり、人によっては好き嫌いで派ができたりするようだが、個人的にはどちらも好きな花ではある。そしてそんな桜の季節も、新緑を向かてそろそろ終焉と言って良いかもしれない。
ヤマザクラも花びらは白い。が、ソメイヨシノに比べて赤みを強く感じるのは、花が咲くと同時に新芽が開くからである。
その点、ソメイヨシノは花が散ってから葉が開くので、その辺りのメリハリ感も好き嫌いが別れるのだろう。