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5月は英語でMay。その1日は世界共通の労働者の祭典の日であるメーデー。古くは欧州の五月祭のことで、労使騒動を一時休戦的な日としてお祭りにしたのが由来だ。

よくハリウッド映画のワンシーンで緊急事態に「メーデー、メーデー、メーデー」とコールするシーンがあるが、あれも文字にするとMay Dayではあるが、これは単に語感を合わせただけのことで、本来はフランス語の「m’aider 私を助けて」が語源である。

20世紀初頭、航空機による往来が最初に行われたのがドーバー海峡を超える英仏間だったので、その際に緊急事態を知らせるために考えられたということだ。

電波状況が芳しくない無線でも聞き間違いが起きないよう語呂の良い言葉に置き換え、3回繰り返すルールは現代に置いてもそのまま有効である。

日本では無能無策の後手後手のバカ政府のせいで、今年のGWも1年前と同じ新コロナ禍の真っ只中にあるという悪夢のような事態に置かれているが、こんな状況下でも五輪を強行しようとする国に国民の思いはまさに「メーデー、メーデー、メーデー」であろう。

FUJIFILM GFX100S / GF30mmF3.5 R WR / PROVIA

赤城高原で新緑と桜、それに上越国境の残雪を1枚に収められるのは今の時期、ちょうどGWの頃である。

FUJIFILM GFX100S / GF100-200mmF5.6 R LM OIS WR / Nostalgic Nega.

近所の農家のお大臣様の庭先で、競うように立派な鯉のぼりが泳ぐのも五月の節句の頃。孫の代に跡取りとなる男の子がいる証でもあるな。

OM-D E-M1 MarkIII / M.ZUIKO DIGITAL ED 100-400mm F5.0-6.3 IS + MC-14

あらかたの冬鳥がすでに渡去し、続々と夏鳥がやって来ているにもかかわらず、未だに農地をうろつくツグミ。秋に渡ってくるのが遅い分、帰るのもまた遅いということのようだ。

こどもの日

2019/5/5

こどもの日ということで、今年子供や孫が生まれたうちの庭先には鯉のぼりが優雅に泳いでいる。

周囲はそれなりにお大尽様の農家が多く、どこのうちも無駄に庭が広いので、一ヶ月くらい前から立派な鯉のぼりが上がっていた。

大きな鯉のぼりが泳ぐ姿は日本の原風景ともいうべきもので、田舎の農村ならではの眺めだろう。都市部ではなかなかこうはいかないよね〜

FUJIFILM X-H1 / XF55-200mm F3.5-4.8 R LM OIS / PROVIA

Hさんちの鯉のぼりは唱歌の歌詞の通り屋根より高い。しかもジョン・ディアのトラクターといかにもミスマッチだw

ちなみに写真に写っている家は旧宅で、本宅は立派な二階建ての日本家屋である。

FUJIFILM X-H1 / XF16mm F1.4 R WR / PROVIA

我家の庭はシバザクラとタンポポが花盛り。

鯉のぼり

2018/4/19

もうすぐ端午の節句ということもあって、残雪の上越国境をバックに赤城西麓の空を力強く鯉のぼりが泳ぐ。

農家にとって男の子は大事な跡継ぎであり、いつの時代も大切に祝われてきた。赤城高原の農家はどこも広い敷地を持っているので、こじんまり家の中に飾る兜よりも、風を受けて雄大に泳ぐ鯉のぼりのほうがよく似合っている。

FUJIFILM X-H1 / XF16-55mm F2.8 R LM WR / PROVIA

FUJIFILM X-H1 / XF16-55mm F2.8 R LM WR / PROVIA

FUJIFILM X-H1 / XF55-200mm F3.5-4.8 R LM OIS / PRO Neg. Std
FUJIFILM X-H1 / XF55-200mm F3.5-4.8 R LM OIS / PRO Neg. Std

我が家より100mほど標高の高い上の集落では、お十二様のソメイヨシノが満開になっていた。ご多分に漏れずこれも例年よりは一週間ほど早いことになる。

枝先の花をよく見ると、花が開ききる前に昨日の雨に打たれたためか、すこし勢いがない感じ。でもこれから開くつぼみもあるので、まだしばらくは桜の季節を楽しめそうだ。

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子供の日

2017/5/5

ついこの間まで雪が降っていたようが気がしていたが、早くも暦は皐月をめくっている、と受け取ってしまう自身がやや虚しい。

子供の頃は永遠に子供のままだと思えるほど悠久の時の流れに身をませていたが、大人になったと意識し始めた頃から、時間には限りがあると気付くことになる。

時間を無駄にしたくないと思う反面、無性に時間を無駄に消化したい思いに駆られるときもあるのは、人生無駄に歳取ったせいかw

いつの頃からか、鯉のぼりは自分の家の庭ではなく、こういったオープンスペースで泳ぐ姿を見かけるようになった。

まあ鯉のぼりなんてそれこそマイホームが夢の時代だった象徴のようなものなので、若いファミリーではジジババが用意してくれでもしないと、広げるのも仕舞うのそれなりに場所を取って困るというものだろう。

それに鯉のぼり自身も、仕舞われてひっそり朽ちていくよりは、余生をみんなで泳いだほうが八百万の神的な意味ではよろしいかもね。

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