土地柄でご近所は農家が多いのだが、中にはもうご隠居が隠遁生活しているような家もある。
現役農家でしかも新宅だったりすると、敷地は広くとも飾り気のない庭だったりするが、ご隠居さん宅ではきっちり手入れされた立派な庭を造っている場合が多い。
そんな庭先が華やかに彩られるのも今の時期で、遠目にもそれはよく目立つ。うちも何れは季節ごとに花が咲き乱れるように庭造りをしたいものだ。
昨日も一昨日に負けず暑い一日であったが、一転今日は平年並みに気温もグッと下がって、過ごしやすい一日であった。先週辺りから花粉の飛散も収束しているので、野外に突っ立っていても過ごしやすい状況が戻ってきた感じである。
今日は遠望の効く林道で朝から昼まで過ごしたが、近くの林内からコルリの他、センダイムシクイ、ヤブサメの囀りが聞こえてきた。先週来た時にオオルリとコムクドリを確認しているので、トケン類を除く夏鳥はある程度出揃ったようだ。
走行中、何気にわ鐵の鉄橋が目に止まったので、車を停めて時刻表を確認すると、15分ほどで下りが通過するのが判った。この辺りはまだ新緑もイイ感じなので、しばし待機の後に動画共々撮影。
さらに少し下ると今度は上りが通過することも判ったので、遅めの昼飯を取りながら待機し、こちらも新緑の山肌をバックに撮影。
ま、何れ予定してない行動ではあったが、何事も一期一会ってことで。もっとも、鉄道は毎日稼働しているのだからそれは当たらないかw
ソメイヨシノやオオシマザクラ、それにサトザクラのようないわゆる園芸種だと明らかに人の手による植栽だが、さすがにヤマザクラとなると自生が多い。
もちろんそれが畑の際とかなら人為的である可能性もあるが、春まだ浅い芽吹き前の日当たりの良い斜面や、新緑に紛れてぽつんと生えているヤマザクラなど、立っているのがいかにも唐突な場所だと、鳥などが種を運んだと考えるのが自然だろう。
桜は被写体としては春の定番で、都市部から田舎に至るまで春を表現するのに一番人気であるのは言うまでもない。素材として引き合いがあるのも紅葉と並んで双璧だ。
桜は花期が短く見頃は一週間と無いが、日本列島を南から北へ3ヶ月近くかけて前線が移動していくことを考えると、日本全体ではかなり長い期間、桜を愛でることができる。実際、桜前線を追いかけて日本中を旅しているカメラマンもいるくらいだ。
そんなカメラマンのみならず、自然好きを自認する輩の中には、公園などでわさわさと賑やかに咲き誇るソメイヨシノよりも、山中でひっそりと咲くヤマザクラのほうが侘び寂びっぽくて好きだと公言する人は多い。
その点で言えば拙者はどちらも好きである。咲く時期が明確にズレているし、桜がひっそり咲かなければならない理由もないし、そもそも別種なので同列に扱う必要もない、というのがその理由である。
ソメイヨシノは漢字で染井吉野と書くのでいかにも吉野山の桜..大半がヤマザクラだ..を連想させるが、もともとはオオシマザクラとエドヒガンの雑種であり、ヤマザクラとは関係ないのである。
畑の際に植えられていることから、1枚目・4枚目・5枚目(浅間山)・6枚目は人為的な植栽で、2枚目・3枚目(苗場山)は防風林内にぽつんと残されたように生えていることから、自然発生ではなないだろうか。
ま、種類によらず何れ桜は絵になることは間違いない。この景色を毎春眺めることができるのは幸せなことだ。
先週、片品に仕事で出掛ける用事があったので、久しぶりに大清水まで足を延ばしてみたが、近年の噂通り休憩所脇のミズバショウ群落は全滅で見る影もなかった。
犯人は尾瀬ヶ原を荒らしている同一犯のシカたち。まあ本人たちも生き延びるために必死で、ひたすら目の前の餌を食っているだけで、こちらが思っているほど悪気はないのだが、連中が増えた原因が間接的に人の生産活動にある限り、野生動物管理の観点からも適切に対処すべき。
いくら柵で囲っても増えるものは増え、広大な空間すべての侵入を阻むのには無理がある。増えるシカとは反対に捕食者たるハンターは減っているので、ここはやはり北海道で実績のある誘き出して一網打尽に捕まえて食う、キャッチアンドストマックがベターな策ではなかろうか。
そんなことを考えつつ、帰りがけに越本の水芭蕉の森に立ち寄ったが、こちらはまだシカの食害の被害はないとのこと。ただ、さすがにまだ一分咲き程度の状況で、それらしい株を探して歩く必要があった。
ちなみに前述の大清水の惨状だが、地元の尾瀬高校がミズバショウ復活を目指して植栽していると先日のニュースで流れていた。そういった子供らの努力が徒労に終わらないようまずは肝心のシカを減らさないと、尾瀬全体が養鹿場になりかねないぞ。
一連の写真は木道上からの撮影だが、水芭蕉がまだ小さいこともあってすべてローポジションを強いられている。
ただ、X-H1もX-T2同様のフレキシブルな背面液晶モニタを装備しているため、木道よりさらに低い位置へカメラを構えても、容易に上から覗き込んで撮影ができるのはありがたい。
ピクリとも背面液晶モニタが動かない某C社のEOSでは、どう逆立ちしてもできない芸当だw
水芭蕉の森からは日光白根山を望める。上越国境と同様、やはりこの時期としては残雪が少ない。
近所の雑木林にキビタキがやって来て、朝からサンショウクイやクロツグミに混ざってピッコロピッコロ鳴いている。まだ明日も引き続き暖かいらしいので、このまま一気に初夏へと季節が進むのではないだろか。
赤城山麓の標高400〜500m付近はすっかり新緑の萌黄色に染まり、植物が持つ葉緑素(クロロフィル)のグラデーションと遅咲きのヤマザクラが見事なコンビネーションを見せてくれる。
この時期と紅葉の季節に山を眺めると、日本の自然林がいかに多種多様で様々な樹種で構成されているかが一目瞭然だ。こんな情景を愛でながら昼飯を頬張っていると、つくづく日本人で良かったなぁと思ってしまう。
ここしばらくはPRO Neg.やETERNAなど、彩度を抑えたフィルムシミュレーションを使っていたが、この新緑の情景の前ではやはりガッツリVelviaを使っておきたい。
もうすぐ端午の節句ということもあって、残雪の上越国境をバックに赤城西麓の空を力強く鯉のぼりが泳ぐ。
農家にとって男の子は大事な跡継ぎであり、いつの時代も大切に祝われてきた。赤城高原の農家はどこも広い敷地を持っているので、こじんまり家の中に飾る兜よりも、風を受けて雄大に泳ぐ鯉のぼりのほうがよく似合っている。
我が家より100mほど標高の高い上の集落では、お十二様のソメイヨシノが満開になっていた。ご多分に漏れずこれも例年よりは一週間ほど早いことになる。
枝先の花をよく見ると、花が開ききる前に昨日の雨に打たれたためか、すこし勢いがない感じ。でもこれから開くつぼみもあるので、まだしばらくは桜の季節を楽しめそうだ。
先々週、某所での撮影の立ち会いの間、近くに巣でも構えているのかソメイヨシノに頻繁にヒガラがやって来ていた。ただ待っているのはヒマだったので、車からG9 PROを降ろしてきてサクッと撮影してみた。
カラ類なので例のごとくひと所にジッとすることなくトリッキーな動きだったが、連写番長たるG9 PROの面目躍如で、ひたすら先読みして連写で挑んだ。
もちろん、横では撮影業務が進行中だったので、電子シャッターによる音無しの構えだったのは言うまでもない。
パナライカの100-400は換算800mmという長焦点にも関わらず非常にコンパクトで、こういう人目のある場所で使用するには都合が良い。
よく都市公園で三脚に載せた巨大な白レンズ..黒レンズもいるが..の使用者を見かけるが、よくもまあこんなところでご苦労さんとしか言えないね。
ちなみに4枚目はメジロ、5枚目はシジュウカラ。都市公園の桜の季節はメジロ写真が多く出回るが、この日のメジロは時間内には低いところに下りてきてくれなかった。
今年は久しぶりにブナが花を付ける年である。
ブナは数年おきに花をつける。そのため実がなる年とならない年があるため、年によっては凶作という事態になり、ツキノワグマのようにブナの実を当てにしている生きものには打撃となる。
とは言えクマもブナの実だけ食べているわけではなく、その時々で腹いっぱい食えるものを探しているので、世の中が騒ぐほどのこともないのだが、総量からすると食糧事情が悪くなるのは事実なので、里での目撃頻度が高くなるのは仕方ないだろう。
という事で、今年の秋はクマ騒動は少なかろうと想像するが、自然の成り行き上それは秋になってみないと判らないのが実際のところだ。
左がブナの雄花のつぼみ。右はブナ林ではおなじみのコシアブラの新芽。
ちなみにブナは風によって受粉する風媒花。桜のように虫や鳥など生きものの力を借りる..場合は虫媒花と呼ぶ..ことはないので、花自体は目立つ必要がないため、見た目の色味も薄く地味なものだ。なので知らない人には花を咲かせた事実さえ判らないだろう。