昨日のコメント欄にMacユーザーは慈愛に満ちていると書いた。
Macを使っている人たちは、業務で仕方なく派や一部の意識高い系を除けば、心底Macに惚れ込んでいる人が多い。いや、iPhoneなどApple製品が尽く好きだと言っても過言ではないだろう。
それこそ昔はMacでしか動作しないキラーアプリがあったので、その流れで現在に至っている人も多いはずだ。出版・印刷分野ならQuarkXPress、映像の世界ならFinal Cut Proが挙げられる。Windowsアプリの代名詞でもあるMicrosoft Excelでさえ、発表当時はMac版しか無かったというのは意外に知らない人が多い。
Macに限らず、Appleの製品はよく練られたインターフェイスとそれを操作した際のフィーリングなど、野暮ったいWindowsとは明らかに異なるユーザーエクスペリエンスを提供してくれる。かくいう私も、MS-DOS時代にMacを操作して一発で惚れてしまった経歴を持っており、その名残?で懐かしきBlackbirdがデスクの端に鎮座していたりする。
そんな訳で、Macユーザーには信者が多く、トラブルなど障害があってもアバタもエクボで乗り切っているのではないかと推察するのだ。文句はあろうがまあ仕方ない的な感覚というか。Intel Macとなる前なら、それこそ悪名高き爆弾マークの嵐を乗り切ってきた人たちであり、今のトラブルなど可愛い物と割り切れるのかもしれない。
そしてそんなMacユーザーとよく似た性質な人たちがカメラ業界にもいて、時にニコ爺などと揶揄される、いわゆるナイコンユーザーである。
キヤノ坊などと言われて比較されるC社ユーザーは案外ドライな人が多く、納得出来ない仕様で製品が出てくるとすぐに声高に文句を言い、場合によってはとっとと他社に乗り換えてしまう強者がいるが、ナイコンユーザーは同様のケースで、「偉大なるナイコン様が考えたことだから間違いない」といった思考回路に切り替わることが知られている。
一つの例として、ナイコンがD2H・D2Xの時代、C社はEOS-1D MarkII Nであったが、当時はC社の高感度性能は圧倒的で、D2がISO200でノイズまみれになるところを、1DはISO800が常用感度だったのである。報道機関がこぞって1Dを導入したのはこの時の話だ。
が、この時のナイコンユーザーの声は「1Dはノイズをナメてしまって立体感のないぬり絵だ」と揶揄し、D2に至っては「適度なノイズが画像に立体感をもたらしている」と言い切っていたのである。この開き直りには苦笑いするしかないのだが、今は立場が入れ替わって、ナイコンのほうが高感度性能が高くぬり絵と言われているのだが、暗黒史とも囁かれるD2時代の話など無かったことになっているのは、これまた苦笑いするしかない(苦笑)。
私はMacも使えばWinも使うし、iPhone・iPadも使えばAndroidも使う。同様にEOSも使えば、ナイコンカメラも持っている。なので何れの場合でも両方の立場はよく理解しているつもりだ。時々で気持ちの中に旬があるので偏りはあるが、それは今後も変わることはないだろう。
思い入れを持ったりこだわりを持つことは悪いことではない。が、それによって見えないものがあったり、不都合に目をつぶったりしてしまうのも事実なので、なるべく客観的な目で見ていたいものである。
隣の畑の法面脇にノウサギの足跡を発見。状況からして昨日今日付いたものでなく、数日前のものだろう。ノウサギは場所によっては激減しているようだが、赤城高原では意外に足跡はよく目にする。それは我が家の周辺でも同様だ。