先週までは辛うじてジムニーで入れた観察ポイントも、さすがに腹を擦ってしまって途中で断念。ちょっと斜面を登る必用があるため、車を放棄してカメラとフィールドスコープのみの軽装備で林道を伝って奥へ。
スノーシューを林道にデポして、軽アイゼンで斜面をトラバース。天気が良かったのでそのまま午後まで観察してから下ってきたが、帰りはかなり雪が解けていて楽に帰って来られた。
明日から寒波到来で少し雪が積増しされそうで、楽して奥山に入れるのも今日が最後かな。
正月早々、ナイコン様がかねてから噂のあった通り、D5とD500を発表した。
フラッグシップのD5は現行デジタル一眼レフの中では突出した性能で、特に最高感度328万などという数字は誤植ではないかと関係者の間ではもちきりだった。その分、値段も突出したもので、きっちり減価償却を計算できるか、ばっさり道楽と割り切るかしないと、とてもではないが手の出る価格帯ではない。
ただ、私の中でナイコン様がメインだったのは、当時唯一無二のAF性能だったF5だったこともあって、正直なところ奇数番号モデルは気になる。ニッコールレンズもそれなりに揃え、写真を専門に撮っていた頃なら手を出したかもしれない..
とは言え、もうこの時代において、フラッグシップ機を持つ必然性はほとんどない。それより一番美味しいのは、そのフラッグシップの性能を若干落として入れ込んでくる二番手モデルであろう。メーカーとしても売れ線として期待しているのはこのラインなのである。某C社と違ってナイコン様は二番手モデルでも容赦無い仕様で来るので、フラッグシップにこだわる必要もないのだ。
ということで今回注目なのはD500のほうだ。詳しいスペックはガジェット系ニュースに譲るとして、やはり注目は4K UHDが記録できることだろう。今年はリオ五輪があるので当然といえば当然で、写真と動画の双方で高精細に記録できるのは、もはや当然の仕様といえるだろう。
よく動画は要らないから機能を省いて安くしろとか、もっと写真のほうに注力しろとかいう輩がいるが、大量のデータを高速に処理するという技術を突き詰めていくと、そこには静止画とか動画とかの区別はないのである。プログレッシブである以上、あくまで1枚の画像データのつながりをいかに効率よく処理していくか、ということに外ならないのだ。
話が逸れたが、D500と昨年すでに発売されているVR200-500の超望遠ズーム、この組み合わせはっきり言ってワイルドライフ撮影最強と言えるだろう。望遠端が500mmでは短いと嘆くなかれ、ナイコン様にはニコン1というテレコン代わり..1200mm以上に換算できる..になるミラーレスカメラがある..正直昔は失策と思っていたが..ではないか。
ということで、よく判っているよねナイコン!というのが、現在の偽らざる心中である。
余談だが、こうなると1年以上前の発売とは言え、某C社の7の付く二番手..は5が付く方らしいが..モデルは微妙な立ち位置になってしまった感がある。さして高感度が強いわけでもなく、ましてや4Kも撮れない今さら感はC社愛好家には悲しい現実だろう。C社は動画の役割を専用機に振ろうと画策していたようだが、D500やパナの安価な4K一眼などを見るにつけ、その戦略の見通しの甘さを痛感しているに違いない。
谷川のモルゲンロートがこの冬一番となった。やはりこの眺めは寒さが厳しくならないと見られない。氷点下7℃以下が連日続くと、駄犬の水バケツもちょっと蹴った程度では割れなくなる。
ここは林道の支線から少し入った場所で、撮影を兼ねた観察に使っている伐採地にアプローチする作業道の入り口。
例年なら車を寄せる事もできないほど道脇に除雪の山があり、それを機材背負ってよっこらしょっと越えた後、雪にまみれながらスノーシューを装着し、すったもんだの挙句にようやく歩き出す、本来ならそんなシチュエーションになる。
が、暖冬少雪のお陰でそんな労力から解放され、実に快適に撮影ポイントまで歩いていける。それどころかジムニーなら車輌のまま進入可能なのである。実際は100mほど入ったところに倒木があるのでそんな上手い話にはなっていないのだが、防寒長靴のままで済むのは助かる。
春の水不足を憂う自分がいる反面、このまま雪がなければ天狗様の抱卵確認が楽になるなとほくそ笑むもう一人の自分がいるのが悩ましい。右肩に天使の自分、左肩には悪魔の自分が乗っている、漫画ならまさにそんな感じである(笑)。
写真は本日のみなかみ藤原であるが、目の前に広がるのは目を疑うような光景である。正月も開け、小寒を過ぎたばかりというのにこの雪の少なさはなんだろう。少ないというよりそもそも積雪がほとんどないではないか。
スキー客..いやボーダーかな..とみられる東京ナンバーが走っているので、宝台樹辺りは滑走可のようだが、藤原は関東唯一、いや全国的に見ても豪雪地帯の代表格である。奥利根が首都圏の水瓶たる所以はその豪雪にほかならないが、このまま雪も降らずに冬が終わるようでは、春に水不足になるのではないかと心配が先に立つというものだ。
季節は一年でめぐり繰り返される。自然は必ずどこかで帳尻を合わせてくるはずなので、このままで済むはずはないと思うが、果たしてこれからその穴埋めをするほどの余波があるのだろうか..
今どきの若い人は、皇居が徳川家の居城であった江戸城の跡地であるということ知らないらしい。
昨年の暮れだったか、20代の若いエンジニアと話をしていた驚いた。まあ何れは日本が太平洋戦争をおっ始めたことすら忘れてしまう時が来るのだろう。歴史が繰り返されるというのは、古い記憶が薄れていくことに他ならないからね。
そしてその江戸城であるが、本丸天守閣は家光の時代に築かれた寛永のものが最後であって、それが明暦3年(1657年)のいわゆる明暦の大火で焼失して以来、350年以上再建されていない、ということも意外に知られていない。
よく時代劇の舞台になるのは元禄以降の江戸中期が多いのだが、例えば暴れん坊将軍こと吉宗が、池の鯉に餌を撒きながら家来と話をしているようなシーンで、背景に白い天守閣..姫路城を代役として映していることが多いが、そもそも江戸城は黒壁だしね..が映っているのは明らかな間違いなのだ。幕末もので江戸城無血開城のシンボルとして、勝海舟と西郷隆盛が天守閣で向き合うシーン、あれもあり得ない話である。まあ作り話にそう目くじら立てることもないのだが、歴史好きとしてはやはり史実にある程度は沿って欲しいと思うのである。
正月に、江戸の初期の天文暦学者であった渋川春海を描いた映画、天地明察(制作は角川、原作は冲方丁)を観た。観測により古い暦を廃して新しい暦を作ったという話で、そこには上毛かるたに「わ:和算の大家関孝和」と読まれている藤岡出身の数学者、関孝和も登場するなど興味を引くところがあったが、一番惹かれたのは江戸城のシーン。インサートカットとしてほんのチラッとしか映らないのだが、史実に忠実に天守閣は描かれず、焦げ跡残る天守台のみが表現されていた。話の舞台は明暦の大火の後なので当然といえば当然なのだが、角川もよく判っているではないかと思った次第だ。
そう言えば、2020年の東京五輪までに江戸城天守閣を再建しようという動きがあるらしい。総工費約350億円というから相当な費用が必要となるが、例のドタバタ競技場に比べればかわいいものである。観光シンボルとしては言うに及ばず、再建には国産の木材を使うという話なので、不振を極める国内林業への特需も期待できよう。何より、日本伝統の木材建築技術を世界に知らしめる、いい機会ではないだろうか。
まるで火事でもあったのかというほどの朝焼け。三が日は荒れもせずによく晴れたが、今週末辺りから冬型に戻るようだ。