1585年と1600年の2回、信州上田城を巡って今をときめく真田氏と徳川氏の攻防が繰り広げられた。世に言う上田合戦である。
古来籠城戦とは援軍を期待した兵法であり、援軍が期待できな場合は城もろとも討ち死にが定説であったが、この上田合戦では城に篭った真田軍が2回とも徳川軍を退けている、歴史上稀有の戦いである。
某国営放送の真田丸では、1585年の第一次合戦の回は放送を終えているが、1600年の第二次合戦..いわゆる関が原の合戦に連動する史実..は、今まさに佳境に入らんとしている。
生きもの考証にやや難のある今回の大河だが、前作と異なりラストまで大戦2回を控え、実に面白くなってきている。
上田城跡の櫓から見下ろす尼が淵。今は新幹線も通る上田の市街地となっているが、400年前は千曲川の氾濫流域であった。ちょうどこの眺めの向こうに、対峙する徳川4万の大群が見えていたはず。
そして城に篭るはわずか三千にも見たない真田軍。結果は史実のとおりだが、果たして真田幸昌・信繁親子は、当時はどんな気持ちでこの尼が淵を見下ろしていたであろうか..