仕事で草津へ出かけた際に渋峠まで上がってみた。今年は残雪が多く、雪の回廊が話題になっていたが、さすがにこの時期では平年並みよりやや多いかな、という程度であった。
天狗号を飛ばそうと思ったが、あまりに風が強くて断念。それに未だ火山性微動が続いているのか、お釜周辺は停車もできない。何より5月とは思えない寒さにブルブルであった。
越後県境付近へ出張った帰り道、みなかみ名物の生どら食べながら相俣付近で桜の銘木を見て回った。
赤谷湖の辺りに立つ相俣のさかさザクラ。別名を「謙信のさかさザクラ」とも言う。
戦国越後の覇者、上杉謙信公が北条征伐のため関東へ出兵する途上、立ち寄った日枝神社で戦勝祈願した際、居城である春日山から持ってきていた桜の鞭の柄を地面に刺したものが根付いたという伝承が残るらしい。
観光客と思しきオバはんがソメイヨシノですかと聞いてきたが、園芸種のソメイヨシノが500年近く残ることなどありえない。これはヒガンザクラだ。幹周りを見ても巨木の類であることは明白である。
こちらも同じくヒガンザクラで、さかさザクラほどではないがそれでも樹齢300年の巨木である。
その昔、近くの沢で大水が出た際、村人がこの木につかまって難を逃れたことから、地元では「お助け桜」と呼ばれている。
余談だが、家に戻って昼飯食いながら新聞見たら、奇しくも今朝の地元J新聞と桜ネタが被ってしまっていたw
水沼駅で話しかけられた鉄分濃そうなニコ爺..でもTMより若いかw..曰く、この時期は神戸駅近辺で花桃も良いよとのことだったので、花桃目当てで回り道。
鉄道撮影は時間と撮影ポイントの2点でほぼ勝負が決まる。時間に正確な日本の鉄道なので、運休しなければ..その情報すら事前に判るしね..その時間に行きさえすれば必ず撮れるので、普段から神出鬼没の野生動物を撮影しているものからすると楽なものである。
後は撮影ポイントで良いポジションに立てるかどうかだが、有名な場所ではやはり専門の鉄ちゃんたちがわんさといるので、そこはにわか者に勝てる見込みはない。
時刻をネットで調べて直前に行った時点では、立つ場所もままならず。よくよく話を聞いてみれば、皆1時間も前から場所取りしているのだとか。蛇の道は蛇ということか。
余談だが、意外に動画を撮っている鉄ちゃんは少ない感じ。どこも狭くて三脚禁止とか多いのが理由なのかと思いつつ、鉄道こそ動画のほうが面白いと思うのは素人考えだろうか。
ってな感じで後を付けてきたヤツ。まあ、こいつだけじゃないけど奈良公園ではお約束のようでw
シカはうちの近所では人を見ただけですっ飛んで逃げて行くけど、ここの連中は逆に人を見たら寄ってくる。とても野生とは思えないが、奈良市が飼っているわけでない。
寄ってくると言っても条件があって、鹿せんべいは当然としても、紙袋のようなものに手を入れていると、どうも何かくれると勘違いして近づいてくるようだ。
角がないのを知ってか知らずか、唐突に角突きを始めて小競り合いとなる。
本来ならこの時期の雄鹿には袋角が付いているはずだが、ここの連中は前の年の秋に角を切られてしまうので、ほぼ角がない。ほぼと言うのは、恐らく前年の角きりを免れたであろう個体も時々見掛けるからね。
主君長政と揉め黒田家を出奔の後、大阪夏の陣で活躍した大阪城五人衆の一人が後藤又兵衛こと後藤基次その人である。
先の某局大河ドラマで哀◯翔が演じたことで妙にバ◯っぽい役回りであったがw、義に厚き戦国の豪傑というのが定説である。
そんな基次の語り継がれる末路は、夏の陣道明寺の戦いにおいて、徳川方の伊達軍との壮絶な戦いの末に討ち死にとされているが、何事にも裏の伝説は残るもので、奈良の宇陀には落ち延びたとされる伝承もある。
宇陀の又兵衛桜は基次の屋敷跡に立つことからそう呼ばれる。垂れ桜なのでちょっと期待していたが、まだ一分咲きといった感じ。これが満開となったらさぞ見事だろうねぇ。
太閤秀吉も花見を催したという吉野のお山も、この寒さに未だ春を知らずといったところ。