カテゴリ : 独り言

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おーい!

2016/2/6
20160206

って呼ばれた気がした。気のせい?

カテゴリ:独り言

仕事で群馬県庁へ。この季節に県庁に来たのは久しぶりのことで、時間調整のため32Fの展望フロアへ上がってみた。

春から秋の初めはヘイズ、いわゆる霞の影響で眺めがよろしくないのだが、今日は西高東低の気圧配置に覆われた典型的な冬の関東平野の景色であった。

周辺には同様の建築物はなく、県庁舎が県内唯一の高層ビルである。一時、横須賀の米軍機の飛行訓練で仮想標的となっていると噂があった目立つ建物だけに、眺望は北関東一と言っていいだろう。

20160204

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左奥より榛名山(水沢山)、志賀高原〜白砂山(冠雪)、小野子山、谷川連峰(冠雪)、子持山、上州武尊山(冠雪)、赤城山、足尾山地〜袈裟丸山と続く。

左奥より流れ下るは坂東一の川と謳われる利根川、円盤状のよく目立つ構造物はグリーンドーム前橋である。

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ブラウザ交代

2016/1/25

さて、先週辺りからどうもSafariの具合が良くない。ブックマークやリーディングの同期で、削除したものがゾンビのように復活したり、任意に並び替えしておいたものがすぐに意味不明な順番に戻ってしまうという現象だ。特に後者の並び替えの不調は、頭の硬いおっさんエンジニアにはなかなか辛い。あのブックマークは確かこの辺に、というのを感覚的に覚えてしまっているので、その都度探しだすのは面倒で仕方ない。

原因は判っている。iCloudが犯人なのは明白だ。iCloudはiPhone、iPad、Macのデータを同期して揃えてくれるスグレモノなのだが、一度暴走?すると先のような現象に見舞われるので迷惑な側面もある。

一旦同期するデータをすべて削除してiCloudの設定から復元するなど、いくつか考えつくことはやってみたが、結果は変わらず。まあこんなことに時間を割くほどヒマではないので、早々に諦めてAppleの対応待ちとすることにし、デフォルトをChromeにした。

仕事柄ブラウザはChrome、Safari、Firefoxと定期的に使い分ける..WinのIEとEdgeは完全にテスト用の扱い..ようにしている。それぞれに旬があって、使っていくうちに重くなってくるので、そのタイミングで乗り換えて行くのだ。今どきのブラウザはほとんどWebkitではあるが、それぞれにクセがあるので、制作したサイトの動作確認をする意味でも使い分ける必要があるのだ。

SafariはiCloudが完全に機能する限り、Appleユーザーには便利なブラウザだが、iPhoneやiPadでは動作がスムーズでないなどフィーリングの部分ではイマイチである。Chromeのあの滑らかにスクロールしていく動作には敵わない。それにキャシュが異常に強力なので、サイトの検証用には実は不向きであるというのも大きい。

日常的に使うデバイスがiOSかAndroidかというのも大きいだろう。iPhoneを使っている人はSafariだろうし、XperiaやGalaxyならChromeであるとか。何れのブラウザも規格にそって汎用的に作られてはいるが、それぞれが運営するサービスとの親和性が高くなるようにも考えられている。私の場合はサービスもデバイス両刀使いなので、その点はどっちもどっちだったりするが。

ちなみに、一昨年あたりからWinのIEがサポートされなくなると大騒ぎしているが、IEがMicrosoft独自の仕様やサービスにかなり依存した異端ブラウザで、それでしか動作しないページやアプリケーションが世の中にゴマンと存在するからに他ならない。一時は市場の9割を占めた..Windowsの標準ブラウザなのだから当たり前..ブラウザが異端というのもおかしな話だが、ソーシャルなこの時代、オープンでないものは世の中から見放されという良い例でもある。

さて、GmailをはじめGoogleのサービスも色々使っているので、連携という意味ではChromeが勝手が良い。本来の順番で行くとFirefoxの番なのだが、設定その他を合わせるのが面倒なので、一旦Chromeをデフォにすることにした。Safariにくらべてブラウジングが早くなって快適だし、海外サイトをよく見る都合上、右クリック一つで翻訳機能が働くのはやはり便利である。

未だ品薄のiPad Proを狙っていたが、こうなるとAndroidの最新タブレットが欲しくなってくるので、仕事の合間に色々物色中である。

20160125

今朝はさらに冷え込んで氷点下12℃。布団から出たくないと思うような寒さになってきた。一応そんな感じで寒波の影響を受けてはいるが、新たな雪はほとんど降らずじまいであった。

奄美大島で115年ぶりに雪が降ったとかニュースで見たが、Facebookのフィードに流れる知り合いの情報では、西日本や日本海側は結構な大雪のようだ。

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どんど焼き

2016/1/9
20160109

毎年のことなので皆もう手慣れたもの。2時間弱でアッという間に完成した。もう役から外れたので手伝うこともないのだが、まあ新年会みたいなもんだね。

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今どきの若い人は、皇居が徳川家の居城であった江戸城の跡地であるということ知らないらしい。

昨年の暮れだったか、20代の若いエンジニアと話をしていた驚いた。まあ何れは日本が太平洋戦争をおっ始めたことすら忘れてしまう時が来るのだろう。歴史が繰り返されるというのは、古い記憶が薄れていくことに他ならないからね。

そしてその江戸城であるが、本丸天守閣は家光の時代に築かれた寛永のものが最後であって、それが明暦3年(1657年)のいわゆる明暦の大火で焼失して以来、350年以上再建されていない、ということも意外に知られていない。

よく時代劇の舞台になるのは元禄以降の江戸中期が多いのだが、例えば暴れん坊将軍こと吉宗が、池の鯉に餌を撒きながら家来と話をしているようなシーンで、背景に白い天守閣..姫路城を代役として映していることが多いが、そもそも江戸城は黒壁だしね..が映っているのは明らかな間違いなのだ。幕末もので江戸城無血開城のシンボルとして、勝海舟と西郷隆盛が天守閣で向き合うシーン、あれもあり得ない話である。まあ作り話にそう目くじら立てることもないのだが、歴史好きとしてはやはり史実にある程度は沿って欲しいと思うのである。

正月に、江戸の初期の天文暦学者であった渋川春海を描いた映画、天地明察(制作は角川、原作は冲方丁)を観た。観測により古い暦を廃して新しい暦を作ったという話で、そこには上毛かるたに「わ:和算の大家関孝和」と読まれている藤岡出身の数学者、関孝和も登場するなど興味を引くところがあったが、一番惹かれたのは江戸城のシーン。インサートカットとしてほんのチラッとしか映らないのだが、史実に忠実に天守閣は描かれず、焦げ跡残る天守台のみが表現されていた。話の舞台は明暦の大火の後なので当然といえば当然なのだが、角川もよく判っているではないかと思った次第だ。

そう言えば、2020年の東京五輪までに江戸城天守閣を再建しようという動きがあるらしい。総工費約350億円というから相当な費用が必要となるが、例のドタバタ競技場に比べればかわいいものである。観光シンボルとしては言うに及ばず、再建には国産の木材を使うという話なので、不振を極める国内林業への特需も期待できよう。何より、日本伝統の木材建築技術を世界に知らしめる、いい機会ではないだろうか。

20160106

まるで火事でもあったのかというほどの朝焼け。三が日は荒れもせずによく晴れたが、今週末辺りから冬型に戻るようだ。

三が日は朝から大手を振って酒が飲める貴重な日である。

家にいても出掛けても、倅が帰省しているので運転する必要もなく、親父は何もすることがない。昨年あちこちから頂いた酒の封を切り、こたつに首まで入って端からチビチビ飲み比べながら悦に入っている。

さらに録りためた映画やドキュメンタリーを横目でちら見しつつ、これまた昨年Evernoteに書き溜めたメモを拾い出し、アイデアを一つ一つビジュアル化していくのも、近年の三が日の習慣となっている。

一年の計は元旦にありとはよく言ったもので、何もしないでのんびりするということは、貧乏性の私にとってはアイデアを練ることと同義。今年も早々に具現化しなければならないアイデアとプランが目白押しである。

20160102

元旦は雪雲で見えなかった谷川連峰。今日は新年初姿を拝むことができたが、日の出の時間帯に東に雲が残っていたため、手前の三峰だけ赤く焼けるという珍しい眺めになった。

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いつも書くことだが、人の暦など自然界では何の意味もない。

なので大晦日だからと何か特別のことはない、というのが常に心情である。年始年末はゆっくりしたいという主旨の話も耳にはするが、フィールドの真ん中に居を構え、一年中好きなこと..ばかりではないは当然世の常だが(苦笑)..をやって過ごしているので、これまた特別にそういう気持ちになることもない。

それでもこの時期は人並みに掃除・整理などしてはいるが、それとてどこかで区切りは必要なのでこの時期に合わせているだけで、さほど深い意味は無いのだ。1月になればまた新しい月が始まる、まあその程度の感覚なのである。おっと、三が日は親戚づきあいという古い因習には逆らえないのは否定しないが..

ということで、飯の種でもある保守管理と運営を任されている数多のWebサイトに色々仕込みが終わったので、あとはカウントダウンイベントとかでサーバーがダウンしないことを祈って、今年最後の仕事を終えようか(笑)。

20151231

シーズン初スノーシューとなった本年最後の出撃。少雪だの何だのと言われているが、行くところに行けば雪はそれなりにある。と言いつつ、正直なところ絶対にスノーシューが必要なほど積もっているわけではないのだが、せっかく車に積んであったのでちょっと血が騒いだかも(笑)。

ではまた来年。

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近頃の大掃除

2015/12/30

近年の年末大掃除で変わったこと。

Wi-FiとBluetoothによるコードレス化が進んだため、特にAppleの場合はiMacのようなデスクトップでもタコ足配線から解放され、デスクの上..キーボードやマウス、トラックパッドもコードレスだ..も足元も掃除がし易くなった。Windowsマシンに外付けHDDをゴロゴロつないでいた頃は、いちいちバラさないと掃除もままならなかったものだ。

クラウドのストレージサービスを利用しているので、そこにアップしてあるデータに関しては、常に複数のiMac及びMacBookPro他と同期されているので、あらためてバックアップをする必要がなくなった。画像やフッテージなどメディアデータは、通常のワークフローの中でルーティンとしてバックアップを組み込んでいるので、こちらは直近のもの以外はそもそもバックアップする必要が無い。

紙の書類に関しては、通常の業務関係では都度PDFに変換しているので、シュレッダー作業がかなり軽減されている。今は個人情報保護の観点から、クライアントから入手した資料をそのまま資源ごみというわけにはいかないので、シュレッダーは欠かせないのだが、一年間溜めるとこれもまた結構な作業となる。保管するタイミングで済んでいれば手間が省けるというものだ。なので本日は保管期限を過ぎた証憑類のシュレッダー作業のみである。

ということで、本日をもって無事に今年の大掃除は終わったとさ。

20151230

日没直前、浅間の噴煙が赤く染まった。

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大掃除

2015/12/29

今日は朝飯食ってすぐに大掃除に突入。

まずひとつ目の懸案は、近年サボっていた空き箱やダンボール類の片付けである。カメラなど機材の空箱は言うに及ばず、とにかくバックアップ用の内蔵HDDの空き箱の量たるや、まあよくぞこれだけ買ったなと自分でも苦笑いする分量であり、まさにHDD貧乏を地で行くものだ。ま、緩衝材やビニールを取り出して箱を潰すという単純作業なので、これは倅に手伝わせてちゃっちゃと終わらせる。

そして今年の大掃除の目玉は、2011年よりの懸案であった物置を兼ねた本棚である。2011年と言えば忌まわしき東日本大震災があったのだが、あの時転倒して以来、本棚が歪んだままで、一旦は矯正したものの、時が経つに連れその傾きが酷くなってきており、近いうちに再度倒れるのは必定であった。

ただ、大量の本と資料、それにオーパーツの類が混沌としている我が仕事場の本棚は、そう簡単に片付けに手を出せる状況になく、まずは端から現状の写真を撮ることに。整理したいのはやまやまなのだが、なるべくどこに何があるのか、という状況を掃除後も維持したいのである。

おお、こんなところにこんなものが、という大掃除ではよくありきな事態に足をすくわれつつも、なんとか5時間程で本棚の矯正と再修復は完了。傾き以外、見た目何も変わってないように見えるため、一体どこの何を掃除したのかという家人の呆れ声を左から右へ聞き流しつつ、残りの時間でいつもの年末大掃除をこなすのであった。

そう言えば今年はテントウムシが少ない気がする。いつもの年なら北側の窓の桟に、テントウムシが越冬目的で沢山付いているのだが、今年はその数が少ないのだ。やはり暖冬傾向なのだろうか。このままテントウムシが少ないようだと、来春、畑でアブラムシが大量発生するのではないかと気が気でないぞ。

20151229

ここ数日、氷点下5〜6℃の朝が続いている。年の瀬になって、何とか冬らしい雰囲気になってきたか。

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森が育む水

2015/11/22

船津伝次平は日本の近代農業の祖であると先日記事にした。

農地の規模を広げ、安定的に作物を生産するには水の供給が欠かせないが、伝次平はそのための水源林保全の重要性に早くから気づき、近隣の住民らと赤城山に植林を施したことでも知られている。

当時の主な燃料は薪であり、恐らく赤城山の山麓もかなり木が伐られ、いわゆる禿山状態であったことは容易に想像がつく。計画的且つ組織的に薪炭林を育てていれば別だが、実際は皆がてんでに薪を伐り出していた時代背景もあってか、赤城山に端を発する河川の水量が細っていたのを見知って、森が水瓶であるという因果関係に気付いたのは流石である。

20151122

伝次平の故郷は上野国原之郷の辺りで、現在で言えば前橋市富士見町(旧富士見村)である。氏の墓所より少し標高を上げると、我が赤城高原同様に農耕地が広がり、背景には赤城山本体もよく見通せる。

約150年ほど前、明治維新の前後に伝次平もこの辺りを訪れ、赤城の麓の大地を耕したのかと想うと、歴史好きとしては感慨深いものがある。

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