タグ : クマ

portfolio

ブナ豊作か

2015/5/15

日本海側の奥山のブナ林を見る限り、この春はいつになくビッシリと雌花が付いている。このまますべて結実するようであれば、この秋は17年以来の豊作となるかもしれない。

20150515

ブナの豊凶は、地域によってバラつきはあるものの、概ね5〜8年程度の間隔で推移している。県内は一昨年25年もわりと実のなりは良かったが、全国的には8年前の17年が豊作だった。翌18年が一転して大凶作であったため、平成の大虐殺とまで言われたクマの大量捕殺が行われたのは記憶にまだ新しい。

当時のツキノワグマの推定生息数が多く見積もっても15000頭と言われていた時代に、一年で5000頭以上も駆除名目で捕殺してしまったのだから驚き以外の何物でもない。駆除数もさることながら、推定生息数がいかに適当でいい加減かは、その後のクマの出没状況をみれば判るというものだ。

という事実を踏まえれば、今年はともかく、来年はまたクマ騒動の年になるのは間違いないということだ。

20150515b

こちらは県内の天狗様生息地で撮影したカケス。県北のブナ林なのだが、県内も確かにブナの雌花が多く付いているのが判る。ちなみにこのカケス、クマタカの幼鳥の鳴き真似をしながら森の奥から現れた。以前からこの谷筋でよくクマタカは見掛けるので、近くに営巣地があるのかもしれない。ま、あまり興味はないけどね..

雪渓グマ

2015/5/8

20150508

日本海側の奥山で天狗と小天狗探し。萌黄色に染まるブナ林はいつ見ても美しい眺めだ。

20150508b

谷筋にはいくつものスノーブリッジが残っていた。この辺りは有数の豪雪地帯ではあるが、今年は降雪量は意外に少なかったようだ。

20150508c

はるか遠い雪渓の上に黒い物体を発見。双眼スコープで観察するとクマであることが判る。それもかなり立派な雄グマだ。のっしのっしという表現が似合うゆっくりとした歩みで残雪の上を移動し、そのまま隣接するブナ林へと姿を消した。

20150508d

この後、続けてもう1頭瓜二つの個体がまったく同じコースを辿るという珍事があったが、この季節に奥山で天狗様を探しているとこういった出来事に遭遇するので面白い。

カテゴリ:ほ乳類|タグ:

調査仕事の手伝いで出張続きであったが、そろそろ本業が年度明けでバタバタし始めてきたので帰郷。できれば晴耕雨読といきたいところだが、商売は客あってのことなので、なかなかそうも言ってられない大人の事情である(意味不明)。

20150416

ベース標高は300mほどの東北内陸の山村で、北向きの斜面にはまだ残雪がある。ヤマザクラはまだこれからであったが、ブナの芽吹きが始まっており、オオルリなど夏鳥がボチボチ鳴き始めていた。しかしここ数日は天気がすっきりせず、昨日も午後から雷雨であった。

20150416b

一見すると肉眼では見通しが良いように見えているのだが、実際は谷全体に薄く靄がかかったようになっており、望遠にして空間を圧縮するとヘイズ感がアリアリしてしまう。直線にして4.5kmほど離れた尾根を、朝方の条件の良い時間帯にコリメートで撮してみたが、スギ花粉の影響もあってかやはりモヤモヤしているようだ。

ポツっと尾根上のブナに3頭の親子グマの姿が見える。最近冬眠明けしたと思われるが、この3日間ほぼ同じ場所で採餌していた。この時期クマが木に登って新芽を食べている姿は、まさに春山の風景である。

カテゴリ:ほ乳類|タグ:

道端クマ棚

2015/2/20

道脇、それもガードレールのすぐ脇にあったクリのクマ棚。それはちょっと手を伸ばせばすぐ届く距離にあって、今にもバキバキと音が聞こえてきそうな雰囲気であった。知人に教えられて帰りがけに立ち寄ったのだが、さすがに国道脇でクマ棚をこの距離から見たのは初めてである。

20150220

20150220b

20150220c

山間部の3桁国道とはいえ、周囲に普通に人家のある場所だ。状態から見て数日間は通っていたようだが、もしかしたら親子のように複数の個体が登っていたのかもしれない。

日中に登っていたとは考えづらく、国道脇なので夜間でも車の往来はあったと思うが、そう思わなければ気付かず通り過ぎてしまうだろう。ヘッドライトの光芒が当たっても、すぐに通り過ぎてしまえば案外クマは気にしないものだ。平気の平左で黙々と里ののクリを食べ続ける姿が目に浮かぶ。

カテゴリ:ほ乳類|タグ:

北海道には本州のツキノワグマとは別にエゾヒグマが生息している。ブラキストン線である津軽海峡を挟んで住み分けしているのだが、本州が大陸とつながっていた時代には、本州にもヒグマは生息していたのだ。その名残というか、その当時の生物相は現在のロシア沿海州の森に見ることができる。

先日「ブナの実を好むツキノワグマ」のイメージをステレオタイプと書いたが、実は北海道のヒグマにも「サケやマスを獲って食べる」という典型的なイメージがある。これは特にカメラマンに多く見られる傾向で、世界自然遺産の知床には今の時期は毎日のように大砲抱えたサンデー毎日なカメラマンで賑わっている河川がある。

この9月にヒグマの食性分析について北大の成果発表があったが、それによれば、知床に生息するヒグマ全体の食性に対するサケの貢献度はわずか5%とのことだ。世界自然遺産として保護されている知床でさえその数値なのだから、本州に比べてサケの遡上が多い北海道といえど全道的にはさらに低いことは容易に想像がつく。つまり、サケを獲っている姿はヒグマのほんの一面、それも限られた場所に住む個体に過ぎず、大半のヒグマはツキノワグマ同様に強い雑食性であるということだ。

20140924
左上:知床の河川でサケを捕まえるヒグマ
右上:アラスカ州ブルックス滝周辺でサーモンを狙うグリズリー
下:サケ・マスを狙うクマを狙うカメラマン(最盛期はこの比ではない)

確かに川に入ってサケを捕食する姿は豪快であり、写真として絵にもなりやすいのだが、それはロシアや北米でのイメージ..それとて河川や海岸、湖沼周辺の個体群に限られる..であり、日本のヒグマの正確なイメージを現すものではないのだ。知床に集まっている連中がそんなことまで考えて撮影しているとはもちろん思ってはいないが、見る側も正確な情報を知っておかないと、往々にして上っ面だけ、イメージだけの価値観に囚われてしまい、クマの本質を見失ってしまうだろう。

カテゴリ:ほ乳類|タグ:,

林野庁の調査によれば、ブナの結実予測ではこの秋は不作なんだそうだ。もっとも昨年は数年の一度の豊作年だったので、この春の調査結果を聞かずとも素人にもその辺は予想がつく。

この手の話がある度に書くことだが、そもそもクマはブナの実だけを好物として食べているわけではない。基本的に何でも食べる雑食である。クマはその時、沢山ある食べ物を、集中的に食べる傾向が強いため、苦労して探しまわった果てに見つけた食べ物に強く執着するのだ。

夏の終わりから秋にかけて、人里に「出没」するとか、大量「発生」するとかの表現をよく耳にするが、クマにしてみれば餌探しの過程でたまたま通りがかり、偶然?そこに食べ物があったので食べていますって感じなのが実情だ。地域によって当然その食性は異なるが、人里周りで柿の実が熟れていれば柿の実を、山際にクリがなっていればクリの実を、山中にドングリが結実していればどんぐりを、養魚場にマスが泳いでればマスを、川にサケが遡上していればサケ(これは特殊な例だが)を、あればあったなりに腹一杯になるまで食べるのである。

何が言いたいのかといえば、すべてのクマがブナの実を欲して動き回っているのではないということだ。クマの食性と餌資源となる植生とは必ずしも一致しないのである。それをステレオタイプに、時にセンセーショナルに騒ぎ立てるのは見ていて滑稽でさえある。

20140922

先週末にちょっと風が強く吹いた影響だろう、農道上に青どんぐりが散乱していた。ブナだけでなくドングリも凶作に近いような話を聞くが、赤城高原では例年とそう変わらない。赤城高原は戦前より開拓で人が入っていたため、薪炭林やほだ木として活用された名残でコナラが多く見られる。写真のドングリもコナラのものだ。

クマがドングリを食べると聞いて、林床に落ちた茶色の成熟したドングリをイメージする人が多いが、クマが好んで食べるのは写真のようにまだ青いドングリである。夏から秋にかけて、ミズナラやコナラなどに登って青ドングリを枝から直接食べるのである。もちろん落ちたドングリも食べるが、まだ枝についた青いうちのほうが水分があって柔らかく、クマにとっては美味いはずである。

ちなみにその青ドングリを食べる過程でバキバキと枝を折って手繰り寄せ、食べ終わると尻の下に敷いて、という動作を一箇所で繰り返し行うため、クマがしばらくいた場所には枝が折り重なってまるで鳥の巣のようになることがある。実際そこでそのまま寝てしまうクマもいるため、それをクマ棚と呼んでいる。

まだ緑が濃い時期にクマ棚を探すのは難しいが、晩秋になって森が落葉し始めると簡単に見つけることができる。青葉がついた状態で枝を折られると、落葉期になっても折られた枝の葉は落ちずにそのまま枯れるため、遠目にも目立つのだ。

海のクマ

2014/6/28

日本には生息していないが、シロクマのイメージとして動物園では馴染み深いホッキョクグマ。私がペンギンの仲間と並んで野生種として一度は観てみたいワイルドライフの筆頭である。

ホッキョクグマは20万年ぐらい前にヒグマから分かれた、ほ乳類としては比較的新しい種である。そういった事情からか、ヒグマとは見た目の印象はだいぶ違うものの、互いに交雑してもハイブリットとして生活していけるほどいまだに近縁であり、実際にそういった事例はカナダ北極圏では散見される。

餌資源をアザラシに依存するホッキョクグマが、その生活史ともども海に依存しているの知られた事実である。そんな彼らと陸棲のヒグマの接点が増えているということは、海で餌が獲りづらくなったことの裏返しでもあるわけだ。

地球温暖化の影響と言われるように、北極海で通年を通して氷が減少、または海の開ける時期が早まっている事実はここでは割愛するが、海に閉ざされる期間が短くなることは、北極海に航路を求める人間にとってはありがたいことであっても、その為に進化してきたホッキョクグマには迷惑千万な話であることは明白である。

このまま氷が減り続けると、再びヒグマに戻るか種として絶滅するか、そんな選択が彼らを待ち受けていることになる。訳あって分科した種が、その求めた環境の変化によって絶滅に向かうことは、地球の歴史の中で何度も繰り返されてきた事実ではあるが、我々人類の生活圏の拡大によって引き起こされるとするならば、ワイルドライフを愛するものとしては複雑な気持ちにならざるを得ない。

あくまでGoProのプロモーション映像だが、最近観たショートムービーとしては秀逸な出来だと思う。ホッキョクグマの学名「Ursus maritimus」は海のクマを意味するが、まさにそれが短い映像の中に表現されている。

ただ、この映像を見てホッキョクグマは単にお泳ぎが上手いクマなんだな、で終わってはいけない。どんなに泳ぎが上手かろうとも、海を終の住み処とするアザラシには到底及ばないのだ。ホッキョクグマが泳ぎに優れたクマであるのは、あくまで海氷間を移動するために習得した能力であり、これをもってアザラシを狩るわけではない。

もし、アザラシを狩るためには海が凍るという状況が必要なんだ、そんな深読みがこの映像からできるようになれば、ワイルドライフのその圧倒的な生きざまを映像に残すという作業自体、途方もなく手間のかかることだとしても、意味があることだと思えてくる。

20140628

旭山動物園のホッキョクグマ展示室の廊下に描かれた絵もまた秀逸だ。展示の斬新さに話題が集まる同園だが、そこに至る導線への配慮も忘れてはならないだろう。

クマ棚少ない

2013/12/28

観察中にハンターに声をかけられたので、これ幸いと情報収集したところ、予想通りこの秋は山の実りは悪くなかったようだ。片品の知り合いの猟師も似たようなことを言っていて、ミズナラやコナラなどどんぐりは出来が良かったらしい。特に山中のどんぐりが良かったようで、里山界隈でのクマの目撃例は少なかった。もちろんだから駆除数が少なかったかといえばそんなこともなく、例年並み程度は捕殺されたとも聞くが。

よくクマ棚の数が少ないと、クマ自体も少ないと勘違いしている輩がいるが、クマ棚とクマの数に相関性はない。クマ棚が一つの斜面に沢山あったとしても、そのほとんどは一頭ないし親子など身内で作ったものだ。クマにもナワバリがあるので当然の話しである。ただ、例外なのが芽吹きの頃。冬ごもりから明けてすぐの頃は、争いよりも食欲優先と見えて、同じ斜面に複数のクマが見られる時がある。

クマ棚を目にするのが落葉期の冬から春にかけてのためか、棚が出来るのは秋だと勘違いしている人がいるが、クマが木に登ってドングリを食べるのは、盛夏から秋のはじめにかけてのことである。まだ葉が青いうちに枝が折られると、葉が落ちずにそのまま枯れるため、密集して枝が折られた場所がクマ棚として目立つようになる。理屈から言えばサルがやっても同じことになるが、移動しながら餌を探すサルと違ってクマは1カ所に留まる傾向が強いため、より大きな棚ができることになる。

20131228

しかし、その頃はまだ実が青くそんなに旨いとは思えないのだが、実の出来不出来を知っているクマにしてみれば、餌の競合を避け、先食いしている状況にあるわけだ。では誰と競合しているのかといえば、昨今増えた増えたと騒がれているイノシシとシカであることは明白だ。蹄の連中は木に登れないため、落果したドングリを狙っているわけで、クマにしてみれば落ちる前に食べてしまう戦略をとっていることになる。クマ棚とはその過程できる産物というわけだ。

と言うことで、クマ棚の数が少ないとはどういう状況か、それはクマが木に登る必要がないことを意味する。落果したどんぐりを食べて事足りるということは、体力を使うを木登りをすることもなく、競合他種と分けあっても問題ないレベルの餌量であるということなのだろう。

冒頭のハンターいわく、この冬はクマが穴に入るのが早いとも言っていた。十分に栄養確保ができたクマたちは、本格的な積雪を前に、お気に入りの冬眠穴に早々に逃げ込んていることが想像できる。用心なく安易な場所に潜れば、運悪く穴撃ちされてしまうこともあるが、そこはそれ野生の勘で犬にも近づけないような斜面を選べば安心だ。

カテゴリ:ほ乳類|タグ:

20130903

この夏も結構あちこちでクマ騒ぎがあったが、

久しぶりに出掛けたいつもの林道入口にも注意喚起の看板が下がっていた。

この手の看板は大抵は季節を無視して一年中出しっぱなしなケース多く、

それだとオオカミ少年状態で効果の程はいい加減疑問なのだが、

この地区は割とタイムリーに出したり引っ込めたりしているので、

良く判っている担当者がいるのだろう。ま、何事も慣れが一番怖いのである。

余談だが、この手の絵柄は煮ても焼いても食えないような図案が多いが、

このイラストはなかなかセンスが良いように思う。

カテゴリ:ほ乳類|タグ:

クマと聞いてその名を知らない者はいないだろう。

日本国内にはツキノワグマとエゾヒグマの2種が生息しているが、本州以南でクマといえばツキノワグマを指し、北海道ならそれはヒグマのことを指す。それほどにクマは一般名詞化している生きものである。

テディベアやくまのプーさんなど愛くるしいイメージの一方で、山菜採りやきのこ狩りシーズンを中心に毎年のように起きるクマとの遭遇事故による凶暴なイメージ。クマは身勝手な人の思い込みによって、両極端なイメージを植え付けられた稀有な動物でもある。

ホッキョクグマや、北米アラスカ州の沿岸部に生息する一部のクマを除けば、クマの食性は植物食の強い雑食である。春ならば芽吹いたばかりの柔らかい若芽を、初夏にはフキなど草本類を、夏にはヤマザクラの実に代表される漿果類(ベリー類)、そして冬ごもり前の秋には脂質の多いどんぐりなど堅果類を好んで食べる。

日本でも北海道のヒグマ(ホッキョクグマはヒグマの近縁種だ)がエゾシカなどを襲う例は散見されるが、ツキノワグマに関して言えば、動物性たんぱく質の補給源のそのほとんどは、アリや甲虫類の幼虫、それに動物の死体に限られると言われていて、恐らくその見立ては大筋では間違ってはいない。

20130725

ところが、滋賀在住の動物写真家 須藤一成氏は、その考え方を見事にひっくり返すクマの映像を撮ることに成功したのだ。そう、ツキノワグマが積極的に他の動物をつけ狙い、そして捕獲するといういわゆるハンティングシーンである。もちろんシチュエーションはかなり限定的ものではあるものの、それはまるでサバンナでヌーやガゼルの子供を襲うライオンやチーターのごときシーンなのである。

撮影者である須藤氏自身もブックレットで語っているが、映像に記録された捕食とそれにまつわる一連の行動は、偶然に起きたことではなく、恐らくクマが本来持っているであろう狩猟者としての本能のようなものが、環境に適合して発動しているのだと思われる。チャンスさえあれば、その強力なパワーを持ってして、いつでも獲物を狩ることができるという潜在能力を示しているのだ。

何はともあれ、まずはツキノワグマが生きた獲物を狩るというこの事実を、本作品で是非ともご覧頂きたい。もちろんこの映像をもってして、だからツキノワグマはやっぱり肉食獣である、などと声を大にして言うつもりはない。すでに述べたようにおおよそ大半のクマは、大雑把に言えば葉っぱと木の実を主食とする雑食な生きものなのである。

ただ、生息地の環境とそこに住む動物相(とその動物たちの生活リズム)にある種の条件が揃うことで、他の生きものを捕食して命をつなぐという、その生きものが内包する本来の生態を垣間見せることがあるということに外ならないのだろう。

■音楽:小松正史

本作ツキノワグマの舞台となった伊吹山地。その豊かな自然と野生の営みの背景に流れるピアノソロ。森を吹き抜ける風やせせらぎの音など、自然環境音にしっくりとそして力強く沁みわたる美しい旋律が、観るものそして聴くものの心に響く。

本作の音楽は、環境音楽家である京都精華大学人文学部教授の小松正史氏協力のもと、同氏著作のCDアルバム『コヨミウタ』『Innocence』収録作品より構成されている。

小松正史オフィシャルサイトはこちら

カテゴリ:お知らせ, 映画・映像|タグ:,