毎年のことなので皆もう手慣れたもの。2時間弱でアッという間に完成した。もう役から外れたので手伝うこともないのだが、まあ新年会みたいなもんだね。
年別アーカイブ : 2016
どんど焼き
小寒過ぎ未だ少雪なり
写真は本日のみなかみ藤原であるが、目の前に広がるのは目を疑うような光景である。正月も開け、小寒を過ぎたばかりというのにこの雪の少なさはなんだろう。少ないというよりそもそも積雪がほとんどないではないか。
スキー客..いやボーダーかな..とみられる東京ナンバーが走っているので、宝台樹辺りは滑走可のようだが、藤原は関東唯一、いや全国的に見ても豪雪地帯の代表格である。奥利根が首都圏の水瓶たる所以はその豪雪にほかならないが、このまま雪も降らずに冬が終わるようでは、春に水不足になるのではないかと心配が先に立つというものだ。
季節は一年でめぐり繰り返される。自然は必ずどこかで帳尻を合わせてくるはずなので、このままで済むはずはないと思うが、果たしてこれからその穴埋めをするほどの余波があるのだろうか..
江戸城再建与太話
今どきの若い人は、皇居が徳川家の居城であった江戸城の跡地であるということ知らないらしい。
昨年の暮れだったか、20代の若いエンジニアと話をしていた驚いた。まあ何れは日本が太平洋戦争をおっ始めたことすら忘れてしまう時が来るのだろう。歴史が繰り返されるというのは、古い記憶が薄れていくことに他ならないからね。
そしてその江戸城であるが、本丸天守閣は家光の時代に築かれた寛永のものが最後であって、それが明暦3年(1657年)のいわゆる明暦の大火で焼失して以来、350年以上再建されていない、ということも意外に知られていない。
よく時代劇の舞台になるのは元禄以降の江戸中期が多いのだが、例えば暴れん坊将軍こと吉宗が、池の鯉に餌を撒きながら家来と話をしているようなシーンで、背景に白い天守閣..姫路城を代役として映していることが多いが、そもそも江戸城は黒壁だしね..が映っているのは明らかな間違いなのだ。幕末もので江戸城無血開城のシンボルとして、勝海舟と西郷隆盛が天守閣で向き合うシーン、あれもあり得ない話である。まあ作り話にそう目くじら立てることもないのだが、歴史好きとしてはやはり史実にある程度は沿って欲しいと思うのである。
正月に、江戸の初期の天文暦学者であった渋川春海を描いた映画、天地明察(制作は角川、原作は冲方丁)を観た。観測により古い暦を廃して新しい暦を作ったという話で、そこには上毛かるたに「わ:和算の大家関孝和」と読まれている藤岡出身の数学者、関孝和も登場するなど興味を引くところがあったが、一番惹かれたのは江戸城のシーン。インサートカットとしてほんのチラッとしか映らないのだが、史実に忠実に天守閣は描かれず、焦げ跡残る天守台のみが表現されていた。話の舞台は明暦の大火の後なので当然といえば当然なのだが、角川もよく判っているではないかと思った次第だ。
そう言えば、2020年の東京五輪までに江戸城天守閣を再建しようという動きがあるらしい。総工費約350億円というから相当な費用が必要となるが、例のドタバタ競技場に比べればかわいいものである。観光シンボルとしては言うに及ばず、再建には国産の木材を使うという話なので、不振を極める国内林業への特需も期待できよう。何より、日本伝統の木材建築技術を世界に知らしめる、いい機会ではないだろうか。
まるで火事でもあったのかというほどの朝焼け。三が日は荒れもせずによく晴れたが、今週末辺りから冬型に戻るようだ。
桃色谷川
一富士三鳶
一年の計は元旦にあり
三が日は朝から大手を振って酒が飲める貴重な日である。
家にいても出掛けても、倅が帰省しているので運転する必要もなく、親父は何もすることがない。昨年あちこちから頂いた酒の封を切り、こたつに首まで入って端からチビチビ飲み比べながら悦に入っている。
さらに録りためた映画やドキュメンタリーを横目でちら見しつつ、これまた昨年Evernoteに書き溜めたメモを拾い出し、アイデアを一つ一つビジュアル化していくのも、近年の三が日の習慣となっている。
一年の計は元旦にありとはよく言ったもので、何もしないでのんびりするということは、貧乏性の私にとってはアイデアを練ることと同義。今年も早々に具現化しなければならないアイデアとプランが目白押しである。
元旦は雪雲で見えなかった谷川連峰。今日は新年初姿を拝むことができたが、日の出の時間帯に東に雲が残っていたため、手前の三峰だけ赤く焼けるという珍しい眺めになった。