今朝も氷点下の赤城高原。連日のようにこの秋最低を更新しているが、今朝は初氷と初雪を記録。駄犬の水バケツも薄っすらと凍って、朝の散歩の時も小屋の外で待つこともなくなった(苦笑)。
初雪のほうは、先日夕方に初冠雪だった赤城の黒檜山方向から風花が舞った程度なのだが、我が家のストーブ稼働には必要な条件だけに、多い少ないの問題ではないのだ。ということで、本日めでたく火入れの儀式である。
北海道の北見で氷点下9.9℃と聞いて、まだ11月だと思うか、いよいよ来たかと思うか、その辺りの受け取り方は地域差がかなりあるだろう。このところ連日霜が降りている赤城高原も、今朝はちょうど0℃なので、当然後者の感覚である。
秋物衣料というのが明確にあるわけではなく、冬物から厚手のフリースや股引の類を除いたもの的な扱いなのだが、先日いよいよ冬物装備を一揃い納戸から出してきた。もちろん日中などまだまだフリースの世話になるほどではないが、車に積んでおくなど準備をしておくことに越したことはない。
再び上越国境が冠雪。先週降った雪は南面についてはひとまず解けてしまっていたが、そろそろ根雪となる頃合いだろう。
妙義山は山腹から県道(旧有料道路)沿いにかけてがちょうど紅葉の見頃であった。上毛かるたに「も:もみじに映える妙義山」と詠まれていることからも判る通り、露岩した奇岩に根を張るモミジやカエデの赤が遠目にもよく目立つ。
上毛三山を成す赤城や榛名と同様に、妙義もそのものズバリの山名を持つピークはない。妙義山はあくまで山系全体を指す名称である。妙義神社のあるもっとも有名な山体(写真)は白雲山と呼ばれ、それ自体も天狗岳・相馬岳という2つのピークからなる。
ちなみに意外に知られていないが、妙義山は列記とした火山活動によってできた山である。赤城や榛名に比べてもかなり古くに形成(約700万年前)されたことが判っており、長年の風化侵食作用によって、現在よく知られた奇峰奇岩となったようだ。
だいぶ古い記事だが、私と妙義の関わりを書いた記事を発掘。–> ああ青春の妙義山
秋の碓氷峠は紅葉が真っ盛りであった。峠への道すがらにある碓氷第三橋梁、通称「めがね橋」には、平日だというのに観光客が引きも切らずで大賑わいであった。
めがね橋は明治時代の建造物で、信越本線の横川・軽井沢間を結ぶ交通の難所として知られた、碓氷峠の横川寄りに位置する。当時としては最新式である、ラックピニオンを利用したアプト式と呼ばれる方式を用いて、連続した急坂に対応していた。建造には約200万個のレンガが使われており、レンガ造りの橋としては国内最大級の規模とのことだ。
もう使われなくなってから半世紀が経つが、現在は富岡製糸場と並んで世界遺産への登録を目指している、県内の遺物の一つである。昔は近づくのはサルぐらい、人影もまばらであったが、ここ10年くらいで人気の観光スポットになっている。
そう言えば、碓氷峠周辺はサルが多いことで有名だが、近年はシカも増加しており、その影響なのかヤマビル被害の話をよく聞くようになった。近くの妙義山でも同様な状況らしいが、その昔、故あってよく妙義山に通っていたことがあって、その頃は沢奥の限られた場所にしかヤマビルはいなかったと記憶している。観光客が増えるのはともかく、歓迎されない生きものの拡散には困ったものである。
トップページの壁紙は、我が郷里である群馬の季節の彩りを月替り(概ね月末更新を予定)でお届けしています。
今まではその過去の壁紙を、ブログのカテゴリーに一時的に保管していましたが、時々問い合わせをいただくことがあるので、新たに壁紙アーカイブスとして独立したページを設けてみました。
上州の四季を巡る季節のシーンをお楽しみください。
久しぶりに航空機に乗った。
通常の取材であれば、携行機材が沢山あるので、 たとえ北海道のような遠隔地であっても、自家用車での移動がスタンダードだ。だが短期でとんぼ返り的な用事だと、移動時間を節約するためにも、荷物を減らしてミニマムな行動が必要だ。
時に空の旅はいつ以来かと思い出してみれば、10年近く前に南東アラスカへ取材に行ったとき以来だった。さらに国内線ともなれば、記憶の糸はサラリーマンだったバブル時代まで遡り、おそらくは講演で呼ばれて出掛けた札幌か広島だったように思う。
たまには大空を舞う天狗様の様に、雲の上から地上を見下ろして見るのも悪くない。もっとも、いかに空の王者天狗様と言えど、ここまで高高度を飛ぶことは無いが・・