先日、東京調布で軽飛行機が墜落して死者が出るという事故があった。御巣鷹山への日航機墜落事故をリアルタイムで知っている者としては、飛行機が落ちて生存者がいたこと..日航機事故でも生存者は2名だったと記憶..が驚きだが、離陸直後のことで墜落時の高度が低かったのが影響したのだろうか。
サラリーマンで全国を飛び回っていた時代、仕事上やむなく飛行機には乗らざるをえない状況にあったが、個人的には飛行機はあまり好きではない。天狗様が大空を翔ける姿を見て、その飛行術の理屈を知れば何ら不思議なことはないのだが、自分のコントロールの効かない状況に身を置くのを出来るかぎり避けたいという、一種の本能のようなものがあるようだ。
北の大地へ渡道する際に利用するカーフェリーも同じではないか?という向きもあろうが、海なら上手くすれば泳いで命をつなぐことができるかもしれないので、そこはひたすら落ちるしか無い空の上とは決定的に違う。もちろん、真冬の海や大しけの時に生き残る自信などないのだが..
アラスカに何度か取材で訪れた際、道路網がまったく整備されてない極北では、軽飛行機での移動が日常のものとなっており、それをタクシーや貨物便の如く運航する会社とブッシュパイロットと呼ばれる職業が、彼の地ではよく知られている。
カトマイにクマの撮影に出かけた際、観光ツアー参加者とたまたま乗りあわせてしまったのだが、その中に米本土から来たという母子がいた。母親はどうみてもアンタがクマのようだと言いたくなるような巨漢で、子供は日本で言えば小学校の高学年だろうか、すでにさすがにその親の子だなという体格で、体重だけなら私よりも重いのは秤に乗るまでもなく一目瞭然であった。
機体は一番小さいサイズのもので、後部が荷室であった関係上、パイロット含め4名が定員であった。当初、母親は子供を前の席に座らせてほしいとパイロットに懇願していたが、老練と思われるパイロット..年齢に不釣合いな屈強な体格と元軍人であることを思わせる刺青の持ち主..は我々の体格を値踏みするように眺めた後、私には助手席を指し示し、母親は私の後ろの席、子供には自分の後ろを指示してきた。
つまりパイロット=母親、私=子供という図式で、パイロットの頭の中で天秤がバランスを取ったのだろう。安全に飛行するために、後部荷室の荷物の積み方と、前後左右のバランスを考えたとはすぐに理解できたが、件の母親は飛び立つまでブツブツと文句を言っていたのをよく覚えている。
南東アラスカの原野の上を低空で飛行する。天候と移動距離のせいもあるが、あまり高度を上げて飛ばないのは、万が一の不時着というのも当然考えているのだろう。
原野もさらに奥地ともなれば、滑走路など整備されているわけもない。そこで利用されるのが湖。車輪の代わりにフロートを履かせた機体で、あたかも地面のごとく離着陸するのである。初めてフロートプレーンに乗った時は、正直生きた心地がしなかった。だって飛行機が水面に突っ込んでいく..正確には着水に向けて降下しているのだけど..姿は、どう考えてもパニック映画の墜落シーンを連想してしまうのだから(苦笑)。
ちなみに湖が凍結する冬はどうするのか?という疑問が湧くかもしれないが、冬はフロートではなくスキーを履いて、凍結した氷上を滑走代わりに使うのである。さらにアラスカでは河川も分厚く凍りつくので、夏には使えない河川の支流なども利用できるのである。