今年は山の実りは豊作である。マスゴミによるクマ騒動狂騒曲の静けさもさることながら、少しでも山に出掛けてみれば己の目ですぐに判ることだ。
山に食うものが多いとか少ないとか、野生に生きる生きものたちにとってみれば、そんなことはとうの昔から織り込み済みである。やれ環境の変化だ何だと人がいちいち騒ぐことではない。基本的に大きなお世話なのである。
過剰な生産活動の果てに人為的に改変された環境ならば人に責任もあろうが、自然の環境とは絶えず変化し続け、そこに棲まう生きものもそれに従い命をつないでいく、エコロジーとはまさにそういうこと指すのだ。
先週の大風で、最後まで枝に残っていたコナラのドングリたちもほとんどが落ちたようだ。
先週末辺りまでは道端に沢山転がっていたのだが、農家のトラックに踏み潰されたものを除けば、探して回らないと見つからないほど目につかなくなっていた。ネズミは無論のこと、シカもリスもカケスもクマも、一同総出でその胃に収めたことであろう。
話は変わるが、普段は殆ど使わないカメラの機能の一つにHDR(High Dynamic Range)がある。
通常、上の写真のケースなら、背景の子持山に露出を合わせると手間の路面は黒く潰れ、逆に手前のドングリに露出を合わせると背景の子持山は白く飛んでしまう。これは一回の露出で表現できる明暗の幅、つまりダイナミックレンジが狭いことに起因する。
古くから写真を嗜むものにすればそれは至極当然のことなのだが、HDRを使うとハイライトとシャドウを調整したカットを別々に記録して即合成してしまうことで、通常では表現できない明暗の幅を1枚のカットに収めることが可能となる。
実は人の目はすでにHDR機能が備わっているため、現場ではまさに写真の通りに見えているのだが、あらためてHDRで記録した写真を見ると、どこか人工的な作り物感が漂っているのが判る。
前提条件無しで見ればそんなものかということなのだろうが、やはり先入観があるがゆえに不自然さは否めない。