田んぼは水鏡
先日も書いたが、普段水気のないカラカラの高原に住んでいると、何気に水のある景色に惹かれるものがある。
とりわけ隣県雪国の水田地帯などドンピシャであり、それが山間の里山的な風情なら終日眺めていても飽きないのは言い過ぎではない。
シュレーゲルアオガエルの声が響く引水直後の田んぼは、まさに自然の水鏡。
水田は言ってみれば現代のウェットランドとも言え、減り続ける湿性環境の再生を担う場所でもあり、そこは生きもののゆりかごでもある。
先日も書いたが、普段水気のないカラカラの高原に住んでいると、何気に水のある景色に惹かれるものがある。
とりわけ隣県雪国の水田地帯などドンピシャであり、それが山間の里山的な風情なら終日眺めていても飽きないのは言い過ぎではない。
シュレーゲルアオガエルの声が響く引水直後の田んぼは、まさに自然の水鏡。
水田は言ってみれば現代のウェットランドとも言え、減り続ける湿性環境の再生を担う場所でもあり、そこは生きもののゆりかごでもある。
野生の生きものが人馴れする時、その多くは餌付けされているなど生活面で依存または期待しているケースがほとんどだ。
例外として、種が受け継がれきた中で人から迫害された記憶のないDNAを持っていれば、例えばライチョウのように人を恐れない種も見られる。
修験者のような特殊な例を除けば、一般の人が登山をするようになったのは歴史的に見ても近代に入ってからなので、3000m級の高山に生息するライチョウが人の存在を気にしないのは当然の話しだ。
ライチョウの場合は種の性質として人を気にしないわけだが、人の生活圏に生息する多くの生きものの場合はまったくその逆にあり、人を避ける、人から逃げる、人から隠れる、時によっては人を攻撃するというのはまあ普通のことであろう。
ただ、野生の生きものにも個体差があるので、個体として人を気にしないケースも時折見られる。
このホオジロは恐らくそのケースに当てはまりそう。
路傍で一筆啓上仕り候とやっているところに通りがかっても、こちらを気にする素振りを見せないのである。試しにさえずっているところに2mほどまで接近しても、一旦は鳴き止みはするが、顔を向けて凝視しない限り逃げることはない。
ただ、その近接からカメラを向けたりするとあっけなく飛んで逃げていくが、これは見つめられる..レンズを向けることが自分に興味があることと理解しているっぽい..ことイコール捕食者のイメージが強いことの警戒感から来るものと推察する。
ホオジロは通年この場所付近で見かける..当ブログに登場するホオジロはほとんど同じ個体..が、このような行動から同じ個体であることは想像に難くない。確かな記憶ではないが、ここ3〜4年は多分入れ替わってないように思う。
ま、言ってみれば顔見知りって感じだろうかw
こちらは上の雄の連れ合いっぽい雌。
先月下旬ころからパッタリ見かけなくなったことと、雄が餌をくわえて畑脇の防風林へ入っていくのを見ているので、その辺りで営巣中なのだろう。
5月と言えばさつき、さつきと言えばサツキということで、山では同属のツツジの季節が始まっている。
ツツジとサツキの見分け方みたいな情報があるくらいなので別種ではあるが、サツキは正式にはサツキツツジと言って結局はツツジの仲間ということになる。
山ではヤマツツジやレンゲツツジが基本だが、人里に近いと園芸種も多くなってくるので、花と葉の大きさで区別する..サツキはツツジよりも一回り小さい..ことになる。
先日ようやくアカハラの証拠写真を抑えられた。
この前日も前回と同じ林縁でさえずっているのを確認していて、これはもしかして近くで営巣しているのかも?と考えていたら、目の前の農道を歩いているのを発見。
ただ、すぐに側溝に入られてしまったのがちょっとねw
今年はキビタキをあまり見かけない。近所の森で聞こえてくるさえずりから渡来数自体はそう変わらない印象だが、とにかく林縁付近で見かけない。
もう昔のようにわざわざ森に入り込んでまで鳥を撮ることはしていないので、声が聞こえたらからと追いかけるようなこともなく、まあそんなことで結果的に撮影カットも少ない。
それでもブブブという警戒音と共に時々路傍近くまで姿を見せることもある。
そういう排斥行動中は追い払い対象以外には目が行かないのか、人が立っていてもお構いなしに目の前で追いかけったりするものだ。
そんな雑木林の林縁ではアマドコロが咲き始めている。
赤城山の北西麓に広がる赤城高原は野菜の一大産地として知られているが、もともとは浅間山と子持山の火山灰土や軽石が堆積してできた高原地形である。
寒暖の差があってなおかつ水はけが良いので、作物の生育には適しているが、それが故に水利がなく水に乏しい土地柄だ。地形的に幾筋も沢があるが、何れも基本的に涸沢である。
普段はカラカラに乾いていると言っても過言ではなく、余り日照りが続くようだと農家も畑への水撒きで忙しくなる。
そんな土地柄なので、大雨の翌日の水たまりは待ってましたと言った感じの大好物で、晴れ渡る空と新緑を映し込む水鏡はまさに無敵だw
青を強調するのにフィルムシミュレーションのVelviaを使っていたが、緑の色再現は同PROVIAのほうが好みなので、X-T4以降から搭載されているカラークロームブルーをPROVIAに適用するとなかなか良い感じになる。
まあ農道のただの水たまりなんで、実際の見た目はこの青さでは無いけどねw
今年も路傍でミツバアケビが小さな花を咲かせている。
毎年その実を狙っているのだが、近所の誰かに先を越されるか、虫たちの先客がつくかのどちらかになることがほとんどで、残念だがここでは今までに1回しかその山野の甘い味覚にありつけていない。
こういった低くくて取りやすい位置で実を収穫するのは、多方面にライバルが多くて大変である。
その隣のキャベツ畑では、ヒバリのオスが朝から大きな声で縄張りを主張している。
日が昇ると天まで高くさえずり飛翔を行うが、朝まだ早い時間帯では地面で鳴いていることが多い。
日の出前の夜明けの空がサーモンピンクに染まる。こういう淡い微妙な色合いも春霞の演出の妙。
テンが農道を行ったり来たりしながら徘徊しているところに遭遇。
しばらく様子を見ていると側溝を覗き込む仕草を繰り返していたので、ハタネズミかアカネズミでも見つけて待ち伏せしていたのだろう。
この直後に側溝に飛び込むがすぐに飛び出してきて、そのまま森の奥へと消えていった。ただ、動きが早すぎて獲物を確保したのかどうかまでは不明..
それにしても今年は明るい時間帯によく生テンを見かけるな。近くで営巣しているのかもしれない。
いくら高原と言えど、辛うじてまだスイセンが見られるのは4月からGWにかけての気温の低さが影響しているのだろう。
まだ頑張って咲き続ける花もあればすでに散り始めた花もあって、混沌しているのが春の終わり。そしてこれから次の演者に舞台を譲って初夏の幕が開ける。
頑張っていた最後のヤエザクラも、初夏の風が吹くたびに花びらが舞っている。
菜の花は房総とか南関東では2月ごろの早春に咲くイメージがあるが、うちの近所ではGW頃から花を付け始める。
ちょうど今はタンポポと入れ替わるように畑の畦や農道脇を菜の花の黄色が覆っている。
菜の花はアブラナ科のこの手の草本の総称というか俗称で、大きくはアブラナとカラシナの仲間に分けられる。
最も分布が広いのは明治期に入ってきたセイヨウアブラナとセイヨウカラシナだが、どちらも食用としておひたしなどで食べるのが一般的だ。
ここ数日で最後のヤマザクラが散り始め、赤城高原の桜模様も終演を迎えている。
まだヤマザクラが一部残っていはいるが、一ヶ月半に及ぶ花期も今シーズンはこれにて終了かな。
散り際が美しいという人もいるが、やはり花は咲いているときが一番だな。