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現在のデジタルカメラの性能面でセンサーサイズなど論じても意味は無いことは先日書いた通り。ではどうしてかくもフルサイズマンセーの状況にあるのか。

何が何でもフルサイズでないとという輩は、メーカーの提案するマーチャンダイジングのヒエラルキーにまんまと乗せられていることに気付いていない、まさしく大砲巨艦主義の帝国海軍そのものと言えるだろう。

コンデジがスマホに食われてしまって市場が縮小する中、カメラメーカーが活路を見出しているのは高級路線である。が、レンズ交換式の一眼タイプにもヒエラルキーを作らないと、マーケティングの都合上、自社製品にも差別化を図れない。

そこで編み出された錬金術が「いつかはフルサイズ」というキャッチなのである。写真趣味の人達の中に何となく蔓延する、フルサイズ=高級とかプロ、APS-C・マイクロフォーサーズ=アマチュアみたいな意味不明なアレである。

今どき声高にフルサイズ一番などという論調を発している輩はメーカーの回し者、広告塔と言って良い。今はインスタグラムに代表されるような写真SNSが台頭する時代で、国民一億総カメラマンである。昔ほど写真集のような作品が売れる時代ではないので、誰も彼もが雑誌でカメラ機材のレビュアーやテスターなどでしかメシが食えないのである。

そこそこ名のしれたカメラマンがライター代わりに使われ、フルサイズ最高を言葉にして発することが、提灯記事で溢れかえる売れない雑誌の現状を如実に現している。マーケットが縮小して雑誌自体が売れなくなっているこの辞世、カメラメーカーのスポンサードは必須だとは言え、そこに主義主張のかけらも何もなく、かくも錬金術の片棒を担がされているわけだ。

そもそもフルサイズって何ですか?と手伝っている写真教室的な集まりで若い人に聞かれるのがことの始まりである。正確には35mmライカ判と言うべきで、カメラの歴史上では事実上のスタンダードになってきているため、そこがすべての基準なのである。

レンズ累計何千万本達成!という自慢げなキャッチを踊らせたい古参メーカーにしてみれば、フルサイズの否定は自社の歴史の自己否定となってしまい、今まで連綿と売り続けてきたレンズ群まで頭数に含めてのメーカー戦略であること自明の理であろう。

言い換えれば、フルサイズが素晴らしく良いという話なのではなく、フルサイズで使える沢山のレンズ群..フィルム時代の大半のレンズはデジタルでは使いものにならないが..が資産としてあって、それを売りさばきたいというメーカー都合のゴリ押しと、フルサイズ最高を演出して高価格な客単価を取り戻したいメーカー戦略こそが、「いつかはフルサイズ」の錬金術の根源に他ならない。

FUJIFILM X-T2 / XF35mm F1.4 R

大寒を過ぎたばかりだが、庭のコブシの冬芽が膨らみ始めてきた。餌台にやって来るシジュウカラも、陽気が良いとツツピーツツピーと鳴いている。

今日は午後辺りから南岸低気圧の影響で関東は大雪と言われているが、庭先ではほんの少しずつ春を感じさせる景色もちらほら見かける。