老農船津伝次平
視聴率はもうはもう目を覆わんばかりの大河ドラマ「花燃ゆ」。八重の桜同様、明治維新以降の話は間違いなく盛り下がると最初から言われていたが、ものの見事にその通りになった。朝ドラの「あさが来た」のほうが余程大河らしいと評判である。
申し訳ないが主人公のオネーチャンにはまったく興味も共感もわかない上に、どっちが主人公か判らない設定の初代県知事楫取素彦も、前橋市民には賛辞あれど、高崎出身者には裏切り者扱い..県庁は本来高崎に置かれるはずだったのを楫取素彦が反故にして前橋にしたため..されているので、地元が舞台であってもほとんど話題に上らなかった。
が、それがここに来て俄然盛り上がりを見せている..というほどの勢いもないが(苦笑)..のは、歴史上のとある人物の登場に端を発している。
その歴史上の人物とは、日本の近代農業の始祖である日本三老農の一人「船津伝次平」である。
???という方がいても何ら不思議はないがまずはそこは置いておいて、船津伝次平とは群馬県民なら誰でも知っている郷土を読んだ上毛かるたの読み札、「ろ:老農船津伝次平」その人であり、県民なら子供の頃から名前だけは知っているが、それ誰?の代表格筆頭であり、取り札の中でも新島襄や田山花袋、新田義貞などと並ぶオヤジコレクション..判る人には判るローカルネタね..の一角をなすのが船津伝次平なのだ。
群馬県内どこの地区でも、上毛かるたの県大会出場を目指し、正月を前に夜な夜な公民館などに集まってかるたの練習に励むのが群馬の子供の風習であり、それは今も脈々と受け継がれている。何しろ県大会で優勝することイコールそれは真のワールドチャンピオンに他ならないからね(笑)。
そんなかるた上、もとい歴史上の伝説の御仁が登場したものだから、仕事で会う人会う人、伝次平の話題で盛り上がるのは必定。さらに当然のように話は伝次平から上毛かるたへと流れて盛り上がっていくため、結局大河ドラマの話はどこかへ飛んでしまうのがお決まりとは言え(笑)、そういう意味ではここにきて大河さまさまと言えなくもないか?
伝次平は若くして地元の名士となり、かの大久保利通卿に請われ東京大学農学部にて講師を勤めた後、農商務省に入省。自身の考案した船津農法を全国に広めた功が認められ、生前に藍綬褒章を受賞。没後には従五位に列せられている。
ちなみに写真に写っているかるたでは「め」になっているが、これは富士見村独自のかるたである。群馬県民はつくづくかるたが好きな県民性のようだ..
余談だが、上毛かるたと言えば、私自身、アラスカのデナリ国立公園内の最奥にあるワンダーレイク湖畔にて、バックカントリーでばったり出会った日本人に、群馬出身であると判った途端いきなり「に:日本で最初の富岡製糸」と声をかけられた経験がある。世界は広いのか狭いのか、どう実感して良いのかよく判らなかった瞬間だ(笑)。