先週、昆虫写真家の海野和男先生の作品鑑賞に小諸高原美術館を訪れたが、一緒に開催されていた「生きもの写真リトルリーグ」も観覧してきた。
いわゆるフォトコン的な催しなのだが、テーマは生きもの、参加者は小中学生ということで、実はさほどは期待はしていなかったのだが、それがどうしてどうして、見てビックリの作品群に驚きであった。まあさながら子供版アニマ賞といった風情である。
最優秀作品賞は長野在住の中学三年生で、家の近くに生息するハヤブサをテーマにした作品であったが、まあこれが実によく写っているのである。写りに関してはカメラの性能に大きく依存する部分もあるだろうが、テーマの据え方もよく判っているようで、末恐ろしい限りである。
自分の同じ頃を思い浮かべてみると、アニマなどは読んでいたが、生きものを写真に写そうなどとは思ってもいなかったし、そもそも家にあった写真機はピッカリコニカだったので、スタートラインからして格差がある(苦笑)。
写真は高校生になってからで、当時はフィルムなのでまず「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」方式などは到底考えられない。フィルム1本36枚、実に貴重なものであった。撮るときは脇をしめて1枚1枚息を潜めてシャッターを切り、その度に大急ぎで巻き上げレバーでフィルムを送らなければならなかった。
山にイヌワシを狙いに行ったり、近所の川原にカワセミを撮りに行っても、シャッター切ったのはたった3枚とか、そんなことはザラだったしね。
海野先生の話では、今どきこの手の写真を撮る子の親からしてカメラマンとのことで、一連のカットを見る限り最新一眼デジカメで連写した中の1枚といったものが多く見受けられた。機材に関して言えば今はもうそういう時代なのでそこは問題ではなく、組み写真としてどう魅せるかに重きをおいていることが驚きである。
その昔、超望遠やマクロ、モータードライブによる連続撮影などは特殊なものであり、その道のプロなど限られた人にのみ許された行為だった。それがデジタルカメラの登場とその後の急速な進化により、道具として誰にでも手の届く範囲にまで降りてきた。
そしてSNS台頭により、生息地含め生きものの情報が誰にでもインターネットを通じて手に入れられる情報化時代を迎え、生きもの写真の市場に将来性があるかについては正直なかなか厳しいものがある。
が、それでも「生きものを見る視点」は他の被写体にも必ず活きてくるので、くれぐれも「何で撮ったか」ではなく、「何を撮ったか」そして「何を表現したいか」を鍛錬していって欲しいものである。