干さねばならぬ、渋柿は。干さねば甘くなりにけり。
今年も大量に柿を入手した。標高の関係で赤城高原ではほとんど甘柿にはならないので、例年通り軒下に吊るして干し柿を作る。だが、そんなことを知ってか知らずか、吊るし始めた途端に天候不順で雨模様となり、やれやれである。
先日、ソニーからベータ規格のビデオカセットテープの出荷を終了するというアナウンスがあった。9月にはHDV機器の生産終了の報があったばかりだが、少しずつレガシーな製品が市場から姿を消していく。
ご多分に漏れずうちはVHSだったのでベータには縁がなかったが、当然ながら周囲のソニー贔屓にはベータ派が多かった。それでも市場でのコンテンツの優位性はVHSのほうが上であったため、ソニー好きでもやむなくVHS派または両規格併用派が多かったようだ。
ご存知にように一般家庭へのビデオデッキ普及の影の立役者はAV..もちろんオーディオビジュアルでないほうのAVね..であり、その流通量ではVHSに大きく軍配が上がったのである。それでもウブで若かりし頃、先輩から借りた裏エ◯ビデオがベータだったため、ダンボール一箱を指をくわえて恨めしく眺めていた記憶がある(苦笑)。
ノスタルジックな意味合いで言えば、近頃はレコード盤が復権してきている。レコード盤の場合はその微妙な音のゆらぎなどを楽しむことを目的とするようだが、映像に関してはそれ以前の8mm..フィルム時代の規格..がその役目を負っているので、カセットテープに関して言えばそれはないだろうと推察する。
それよりも、まだまだ世の中に膨大に蓄積されているビデオカセットを、ワンタッチでDVDやBlu-rayディスクに焼きなおす安価な機器の登場を期待したい。うちにも過去に収録した番組など多数残っているのだが、現存するカセットデッキが壊れたらそれでオシマイなので、今回のベータ終了のニュースは、またぞろその問題を喚起することになった。
蒟蒻掘り狂騒曲も一段落し、畑も残すところホウレンソウの収穫ぐらいになり、赤城高原も農閑期へと向かっている。上州武尊山の山頂部が薄っすらと白くなっているが、根雪になるまでにはまだもう少し掛かる。周囲の山稜が根雪となると同時に、この辺りの露地の収穫シーズンも終わる。
先日開幕したCanon EXPOで、噂の2億5,000万画素CMOSセンサーのコンセプトカメラ..と言えるような形をしていないが..が展示されていたらしい。
話によれば、一部海上を挟んだ20km先を撮影して、そこに書かれた文字が読めるというから驚きだ。遠距離を望遠レンズで撮影するので、そこは大気との戦いであることは避けようもないが、揺らぎや霞を除去する技術も同時に開発し、その組み合わせで実現したのだという。
さらに電子ズームとの併用でも十分な画素数を維持するため、拡大耐性にも優れているらしい。そりゃ2億も画素があれば後処理で何でもござれであろう。ちょっと前にそんなもん作っているヒマがあったらと揶揄したばかりだが、基礎技術の面で考えれば凄い技術なのは異論を挟む余地はない。
フィルム時代なら撮影時にほぼすべての作業が完了していることが当たり前であり、それを実現するのがプロフェッショナルな仕事であった。が、デジタル時代になって以降、記録された画像・映像は撮影後に後処理を加え、さらに完成度の高い結果に仕上げるのが当たり前になった。撮影時の敷居が下がった分、撮影後の仕事が増えたわけで、面倒といえば面倒なのだが、それが出来ると出来ないでは飯の種に差がつくのも事実だ。
すでに撮影後にピントの位置をずらす技術も存在する。先の膨大な画素数を難なくハンドリングできる時代も、数年先にはやって来るであろう。そうなるとカメラには高精細なレンズ1本だけがあれば済んでしまうわけで、いずれレンズ交換式のカメラなど過去の遺物になるのかもしれない。
大気の揺らぎの影響を受けないで撮れるのは早朝だ。たとえ厳冬期でも日中は地面が暖められヘイズが浮いてくるので、多少なりともその影響を受ける。特にこれからの季節は空気が済んでくるので、山など遠景を望遠レンズで撮影するのは朝が一番である。
今年は山の実りは豊作である。マスゴミによるクマ騒動狂騒曲の静けさもさることながら、少しでも山に出掛けてみれば己の目ですぐに判ることだ。
山に食うものが多いとか少ないとか、野生に生きる生きものたちにとってみれば、そんなことはとうの昔から織り込み済みである。やれ環境の変化だ何だと人がいちいち騒ぐことではない。基本的に大きなお世話なのである。
過剰な生産活動の果てに人為的に改変された環境ならば人に責任もあろうが、自然の環境とは絶えず変化し続け、そこに棲まう生きものもそれに従い命をつないでいく、エコロジーとはまさにそういうこと指すのだ。
先週の大風で、最後まで枝に残っていたコナラのドングリたちもほとんどが落ちたようだ。
先週末辺りまでは道端に沢山転がっていたのだが、農家のトラックに踏み潰されたものを除けば、探して回らないと見つからないほど目につかなくなっていた。ネズミは無論のこと、シカもリスもカケスもクマも、一同総出でその胃に収めたことであろう。
話は変わるが、普段は殆ど使わないカメラの機能の一つにHDR(High Dynamic Range)がある。
通常、上の写真のケースなら、背景の子持山に露出を合わせると手間の路面は黒く潰れ、逆に手前のドングリに露出を合わせると背景の子持山は白く飛んでしまう。これは一回の露出で表現できる明暗の幅、つまりダイナミックレンジが狭いことに起因する。
古くから写真を嗜むものにすればそれは至極当然のことなのだが、HDRを使うとハイライトとシャドウを調整したカットを別々に記録して即合成してしまうことで、通常では表現できない明暗の幅を1枚のカットに収めることが可能となる。
実は人の目はすでにHDR機能が備わっているため、現場ではまさに写真の通りに見えているのだが、あらためてHDRで記録した写真を見ると、どこか人工的な作り物感が漂っているのが判る。
前提条件無しで見ればそんなものかということなのだろうが、やはり先入観があるがゆえに不自然さは否めない。