太平洋戦争の置き土産
昨日は終戦記念日だったが、それは国内向けの終戦日という意味であって、対外的には降伏文書に調印した1945年9月2日または3日ということになる。
自分たちで勝手に負け戦をおっ始めておいて、実際に負けたら記念日と言っているのだから、どれだけ面の皮が厚いのかと思わなくもないが、降伏調印ではなく玉音放送当時にこだわるのは単に国体護持のためというところか。
などと、映画「日本のいちばん長い日」を観ながらつらつらと思うわけである。
ところで、オラが村は回覧板にこんなのが回ってくる土地柄だったりする。
赤城高原には先の大戦以前は旧日本陸軍の演習場があったため、戦後の開拓で不発弾が多数見つかっている。中には毒ガス弾もあり、ここ数年でもすでに数発が、ついこの6月にも「くしゃみ剤」をばらまく迫撃砲弾1発が見つかったばかり。
沼田には化学兵器の研究をしていた第6陸軍技術研究所の赤城分室もあったというから、それはもうさもありなん。うっかり鍬を振るうにも覚悟がいるというもの。くわばらくわばら..