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北方志向的放浪者としては琴線に触れる資料の数々。やはり旅は良いね。

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先日、ノルウェー南部の国立公園で野生のトナカイ323頭が死んでいるのが発見された。

台風とまではいかないまでも、一体を暴風雨が吹き荒れた直後の出来事らしい。死因は落雷とのことで、身を寄せあって荒天をしのいでいたところを雷に打たれたようである。

恐らく当人たちは何が起きたかも判らずに一瞬で絶命したと思われるが、事態を発見した狩猟監視員..この時期はトナカイの狩猟シーズンだそうだ..によれば、まだ数頭は息があってそれらを安楽死させたとのことだ。

このところ連続して台風が日本列島を縦断し、各地に甚大な被害をもたらしているが、人智を超えた自然の力の前では人も生きものもおおよそ無力である。

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デナリ(旧マッキンリー)をバックにカリブーの角をパシャッ。

和名のトナカイはアイヌ語が語源と言われている。英名は「レインディア(Reindeer)」だが、北米の個体群はフランス語源のカリブー(Caribou)と呼ばれている。

北米なのにフランス語とは不思議な気もするが、北極圏を擁するカナダは英語とフランス語が公用語なので、その辺りも関係するのだろう。

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南西アラスカにあるカトマイNP。ブルックス滝にサケを求めてグリズリーが集まることで知られ、彼の地こそはグリズリー王国の中枢であり、ここを訪れる人の目当ては例外なくグリズリーである。つまりそれは、わざわざクマのテリトリーに自ずから入っていくことを意味する。

カトマイは事前にパーミットを取得して、限られた期間だけ..当時は最大で6日間だった..入山できる仕組みになっている。

まず現地へのアプローチからして、内地から道路が一切通じていないため飛行機頼みである。フロート機でナクネック湖に到着してまずはキャンプスペースを探す..ハードハウスのコテージもあるが貧乏カメラマンには端から選択の余地なし..のだが、湖岸近くはすでに埋まっていて、キャンプ場の周辺部しか空いてない。

最初に幕営したスペースは湖岸から離れていたが、他のキャンパーから隔離されて静かでよいと喜び勇んだものの、これは翌朝大いなる失敗であることに気づく・・

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クマが橋を渡る時はクマ優先。カトマイでは人はクマより地位は低い。

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クマが標識を認識できるかという問題はさておき、ベアカントリーで人が歩いて良いのは高架木道だけ。常にヘイ、ベア!の掛け声は忘れずに。

翌朝、と言っても南西アラスカでさえも白夜..これは7月の話である..の影響は大きく、一晩中薄ぼんやりと明るく、寝たかどうか定かではない感覚で明らかに寝不足である。

薄っすらと光がテントの薄い生地を通して差し込み、寝袋にくるまって朝飯どうしようかグダグダと逡巡していると、テントの足元の方向から何かがガサガサと歩いてくる音がするではないか。人か?いやここはキャンプ場の一番北の端であったはず。森の向こうはブッシュの原野で人など分け入る理由はない。それよりここでの最初の心情を正確に言うなら、人であって欲しいというところではなかったろうか。

フー、フーと言った感じの鼻息混じりで、その何かはブッシュから出てくる..この辺は見えてないので想像の世界ね..と、パキパキと小枝を踏みながら、我がキャンプサイトに足を踏み入れてきた。

もうここでその何かがグリズリー以外の何かであるとはノーテンキにも考えづらくなっており、もしかしたら昨日の夕方見かけたムースかも..世界最大のシカなのでそれはそれは接近遭遇はしたくないけど..という淡い期待も、逆光気味にテント生地の向こう側、恐らくわずか1m半ぐらいの位置に巨大な影が浮かび上がったことで脆くも消し飛び、身動ぎすることなく音無しの構えで臨戦態勢。

ここでまた止せば良いのに、好奇心に駆られて限りなくスローでテントのジッパーを下ろしつつ、片手にリコーGRを掴んで隙間からそっと覗いてみると、3mほど離れたところで立ち止まっている巨大なクマを確認。どうみてもこちらが寝ているテント..モスのアウトランドというシェルター型の一人用テント..の倍はある巨大さで、体重は優に400kgはありそうである。

こちらの驚きと恐怖を感じとったのか、面倒くさそうにこちらを振り向くクマだが、ここで目が合うとこちらがあちらの朝飯になること請け合いなので、刹那に視線を隙間から外すことに成功。その後どのくらいテント内でフリーズしていたか記憶にないが、クマが去っていった方向からフライパンやコッヘルを叩いて威嚇するキャンパーたちの喧騒が届き、取り敢えず自分は助かったことを実感したのであった。

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当時愛用していたモスのアウトランド。このすぐ右脇奥からそのクマは現れた。

キャンプ場は毎日キャンパーが入れ替わるので、お昼頃には一時的に空くことに気が付き、ブルックス滝での撮影から一旦引き返して、とっとと湖岸近くのキャンプサイトに移ったのは言うまでもない。たとえそれがブロンドのフランス人カップルの隣でやたらイチャイチャ賑やかだと判っていても、襲うときに多少でもクマが迷ってくれることを期待して(笑)、我慢することにしたのである。

今までカトマイNPでどれほどの事故が発生しているかは不明だが、夏のサケが大量に遡上しているシーズンに、好んで人を襲う個体はいない。人に手を出せば痛い目に遭うことくらいは連中も判っており、だから逆に悠々とキャンプ場の中を通って湖岸に出て行くという大胆な行動に出るのだろう。

ただ、その後例のキャンプ場の周囲には電気柵が設置されたようである。何かトラブルがあったことは想像に難くないが、それは人を守るというよりは、ベアカントリーで無益にクマとの諍いを減らすことの意味合いのほうが大きように思われる。一度人を襲うことを覚えたクマは、自由の国アメリカであったとしても、捕殺も選択肢に排除されるのは日本と同じだからだ。

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ある朝、ナクネック湖の湖岸で顔を洗おうと、ふと足元の浜に視線を落とすと、つい今しがた通ったばかりと思われる親子グマの足跡が目に入った。

この時期、雄グマたちはブルックス滝周辺に集まっているので、逆に子連れの雌グマは滝から離れた場所で餌を探している。サケが手に入るとは言っても、子グマは常に雄グマに狙われる存在に変わりはないからだ。

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今度はアラスカのワンダーレイク付近で、キャンパーがグリズリーに襲われる事故が起きている。どうやら前日から同じクマに執拗に付け狙われていたようで、襲ってきたクマを死んだふりでかわそうとしたが結局襲われたらしい。

国立公園などではバックカントリーに入るハイカーやキャンパーに対し、クマに遭遇した時の様々な対応を事前に教えられる。以前にカトマイNPでキャンプした時にも同様のレクチャーを受けたが、やはりその時にも「死んだふりは有効」と言っていた。

ただ、餌として一度認識したものに対するクマの執着はそれこそ尋常ではなく、奪われた荷物を取り返そうとして逆襲されたケースは洋の東西を問わず過去に何例もある。国内では戦前の開拓時代に起きた北海道の三毛別や、日高山系で襲われた福岡大ワンゲル部の例が挙げられる。

クマに強い執着がある段階での死んだふりはかえってクマを誘うようなものなので、死んだふりはいよいよ最後の手段と心得ておいたほうが良い。ま、本当の意味での最後の手段は戦うしかないけどね。

覆い被さってきたクマを巴投げよろしく投げ飛ばしたとか、よくその手の武勇談の類を耳にする..逃がした獲物はデカかったよろしく誇張したものであることが多い..が、ツキノワグマでも体重40〜50kg程度のまだ若い個体や雌ならまだしも、100kgを超えるような雄の成獣でそうそう上手い具合に事が運ぶとは限らない。

考えて見れば判ることだが、エゾヒグマは200kg級はザラであり、大陸のハイイログマなら300〜500kgはあるのだ。柔の世界では柔よく剛を制すは言うものの、そんなものにのしかかられて一体どうやって投げ飛ばせるというのだ。そもそもその前にこちらの首が飛んで行くのが目に浮かぶ。

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件のキャンパーが襲われたワンダーレイク湖畔のキャンプ場。アラスカ山脈を眼前に拝める最高のシチュエーションだが、周囲には何も遮蔽物はなく、状況はバックカントリーで幕営するのとまったく同じである。実際、グリズリーが遠くの丘の上をゆっくり歩いていく姿を何度も目撃した。

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こちらはアラスカとカナダの国境近い民間のキャンプ場。周囲は鬱蒼としたスプルースのタイガ地帯で、これまた柵のような遮蔽物はない。日本の感覚なら「大自然に囲まれた」という陳腐な表現になるのだろうが、実際は「野生のグリズリーに囲まれている」というのが本当のところであろう。

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ここは同じくアラスカのテクラニカ川沿いのキャンプ場。ここも背景のトウヒとアスペンの森を抜ければ、見渡す限りツンドラの原野が広がっている。ちなみに、装備はミニマムでとか何とか言いながら、バドワイザーの瓶ビールを飲んでいる辺り、何度も旅をしていると色々思考に垢がついてくるものだ(笑)。

グリズリー(ハイイログマの別称)には図らずも至近距離で遭遇したことがあるが、エゾヒグマ含めグリズリーのそれはツキノワグマとは大違いである。同じクマと名がついていても、ヒグマやグリズリーはあれは完全に別物と言っていい。前述のカトマイでテントの布切れ1枚越しに感じた野生の凄みは、今でも忘れない恐怖体験である。

余談だが、野生下で遭遇した生きもので最も恐怖を感じたのは実はグリズリーではなく、それはアフリカゾウである。車でブッシュを通り抜ける際、小型の若いゾウ..それでもこちらの乗っていた日産サファリより大きかったが(汗)..に直ぐ目の前までブラフチャージを受けたのだが、その時はこちらは車内にいるにもかかわらず、全身冷や汗かきながら恐怖したのを覚えている。

ゾウが人を食うことはないが、殺すのはいとも簡単なことだ。やはり野天での人の立ち位置はかなり低いのは紛れもない事実である。今でも動物園でゾウにパォーとか鼻を高々と持ち上げられると、あの時のシーンが頭を過ることがある。

東京五輪エンブレム騒動で、日本が世界にその恥をさらしているさなか、北米大陸最高峰であるマッキンリー山の名前が、「デナリ」に変更されるとの知らせが届いた。

マッキンリー山の名前は、第25代アメリカ合衆国大統領(1897-1901年)であったウィリアム・マッキンリー(共和党)から命名されたものだが、当のマッキンリー自身はアラスカとは何の関係もなく、その政治的功績(または南北戦争従軍?)を讃えられてのことである。

もともと現地では先住民の言葉であるデナリ..アサバスカン族の言葉で「偉大なもの」を意味する..と呼ばれており、マッキンリー山というのは言わば白人入植の証のようなものである。なので意外に現地ではマッキンリー山よりはデナリと言ったほうが通りが良い。

この話には30年ほど前に前哨戦があって、旧マッキンリー山を含む一帯は当初はマッキンリー国立公園(1917年)としてスタートしていたが、アラスカ国家利益土地保護法..一体アラスカは誰のものなのかを問うた法律(1980年)..によってデナリ国立公園と改名されている。この辺りの事情は当時アラスカで活動していた写真家星野道夫氏(1996没)の著作にも記されており、氏の初期の作品内ではまだマッキンリー国立公園という表現が随所に見られた。

ちなみにウィリアム・マッキンリーはのちに銃撃を受け暗殺され、その後は副大統領であったセオドア・ルーズベルトが大統領に昇格している。

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デナリ国立公園内にあるストーニーヒルからデナリ山を望む。一見すると双耳峰のようであるが、向かって右側のピークが北峰で5934m、左側のピークが南峰で6168mと、その鞍部からの標高差400mを考えると北峰だけで独立峰と言っても良いかもしれない。

山単体で比較すると、世界最高峰のエベレスト山はベース標高からの高さが3700mだがデナリは5400m以上あり、その山塊はエベレストよりも巨大である。緯度も北極圏に近いため、冬季は当然のことながら、夏季でもその気象条件はヒマラヤ山脈よりも厳しいと言われる。

記録の残る初登頂は1913年で、マッキンリー山と命名された後のことである。そして冬季単独登頂に初めて成功したのは1984年の植村直己氏(同下山時に遭難)であり、その後は群馬県沼田出身の山田昇氏ら3氏(同じく下山時に遭難)、下山を含めた成功者では1998年の栗秋正寿氏が記憶に残る。

そう言えば最近テレビで観たので記憶に新しいが、ベテランにガイドされていたは言え、お笑い女性タレントが山頂に立ったのには驚かされた。批判は色々あるようだが、自分の脚で北米大陸最高峰の頂に立ったのは事実のようであるから、それはそれでスゴイことだと思う。

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軽飛行機

2015/7/31

先日、東京調布で軽飛行機が墜落して死者が出るという事故があった。御巣鷹山への日航機墜落事故をリアルタイムで知っている者としては、飛行機が落ちて生存者がいたこと..日航機事故でも生存者は2名だったと記憶..が驚きだが、離陸直後のことで墜落時の高度が低かったのが影響したのだろうか。

サラリーマンで全国を飛び回っていた時代、仕事上やむなく飛行機には乗らざるをえない状況にあったが、個人的には飛行機はあまり好きではない。天狗様が大空を翔ける姿を見て、その飛行術の理屈を知れば何ら不思議なことはないのだが、自分のコントロールの効かない状況に身を置くのを出来るかぎり避けたいという、一種の本能のようなものがあるようだ。

北の大地へ渡道する際に利用するカーフェリーも同じではないか?という向きもあろうが、海なら上手くすれば泳いで命をつなぐことができるかもしれないので、そこはひたすら落ちるしか無い空の上とは決定的に違う。もちろん、真冬の海や大しけの時に生き残る自信などないのだが..

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アラスカに何度か取材で訪れた際、道路網がまったく整備されてない極北では、軽飛行機での移動が日常のものとなっており、それをタクシーや貨物便の如く運航する会社とブッシュパイロットと呼ばれる職業が、彼の地ではよく知られている。

カトマイにクマの撮影に出かけた際、観光ツアー参加者とたまたま乗りあわせてしまったのだが、その中に米本土から来たという母子がいた。母親はどうみてもアンタがクマのようだと言いたくなるような巨漢で、子供は日本で言えば小学校の高学年だろうか、すでにさすがにその親の子だなという体格で、体重だけなら私よりも重いのは秤に乗るまでもなく一目瞭然であった。

機体は一番小さいサイズのもので、後部が荷室であった関係上、パイロット含め4名が定員であった。当初、母親は子供を前の席に座らせてほしいとパイロットに懇願していたが、老練と思われるパイロット..年齢に不釣合いな屈強な体格と元軍人であることを思わせる刺青の持ち主..は我々の体格を値踏みするように眺めた後、私には助手席を指し示し、母親は私の後ろの席、子供には自分の後ろを指示してきた。

つまりパイロット=母親、私=子供という図式で、パイロットの頭の中で天秤がバランスを取ったのだろう。安全に飛行するために、後部荷室の荷物の積み方と、前後左右のバランスを考えたとはすぐに理解できたが、件の母親は飛び立つまでブツブツと文句を言っていたのをよく覚えている。

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南東アラスカの原野の上を低空で飛行する。天候と移動距離のせいもあるが、あまり高度を上げて飛ばないのは、万が一の不時着というのも当然考えているのだろう。

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原野もさらに奥地ともなれば、滑走路など整備されているわけもない。そこで利用されるのが湖。車輪の代わりにフロートを履かせた機体で、あたかも地面のごとく離着陸するのである。初めてフロートプレーンに乗った時は、正直生きた心地がしなかった。だって飛行機が水面に突っ込んでいく..正確には着水に向けて降下しているのだけど..姿は、どう考えてもパニック映画の墜落シーンを連想してしまうのだから(苦笑)。

ちなみに湖が凍結する冬はどうするのか?という疑問が湧くかもしれないが、冬はフロートではなくスキーを履いて、凍結した氷上を滑走代わりに使うのである。さらにアラスカでは河川も分厚く凍りつくので、夏には使えない河川の支流なども利用できるのである。

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謹賀新年

2015/1/1

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極北に生きる野生の羊の如く、

静かに力強く歩んでいきましょう。

今年もよろしくお願いします。

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