9.11で思い出す
ハリウッド映画かと見紛うような、ワールドトレードセンタービルに突っ込む旅客機の映像がSNS上に流れるのを見ていて、19年前の昨日に米同時多発テロが起きたことを思い出していた。以下は直接9.11とは関係ないが、関連して思い出した点を3つばかり。
2001年の秋、アラスカ取材を行うべく準備を整え、エアーもシアトル経由アンカレジ行きを押さえた。が、渡航前には終わるはずだった仕事にキリが付かず、仕方なくその年の取材を諦めたのだが、そこで起きたのが9.11テロ。
実はアラスカに取材に出掛けていれば、帰りの便は9月11日アンカレジ発だったのである。エアーはノースウエストだったので、ハイジャックされた航空会社ではなかったが、もし当日米国にいれば、間違いなく数日間日足止めを食らっていたわけ。
2つ目は翌2002年の秋のこと。その年の夏のうちに用意周到に仕事の段取りを済ませ、何とか無事にアラスカ取材に出掛けることができた。
現地で2週間ほど過ごしたある朝、デナリN.Pのビジターセンターで、シーズン最後のワンダーレイク行きのシャトルバスのチケットを買おうとしていたところ、センターのスタッフの合図と共に、居合わせた人々が皆で黙とうを始めたのである。時計に目をやると時刻は8時50分ちょっと前。そう言えば今日は9月11日であったと合点がいき、拙者も慌てて黙とうを捧げた次第。
3つ目は2つ目の続き。アンカレジ空港から帰国の途につく際、当時はまだフィルムでの撮影であったため、搭乗前の手荷物検査でハンドチェックを頼んだ..テロの影響でX線検査が強力になったので..のだが、すると奥から見るからに屈強なマッチョな係官が現れ、拙者に近くの部屋に入れとあごで指示。部屋に入るともう一人係官..150kgはあろうかという巨漢で、違う意味で屈強w..がいて、荷物を全部出して服を脱げと言うではないか。
1人が何やら棒状の計器のようなもので拙者の全身をチェックする間、もう一人は500mmの望遠レンズなど大量のカメラ機材をチェックしつつ、「某国のスパイじゃないだろうな」などという、冗談とも本気ともつかないセリフを吐く始末。
よもやこのままシアトルでなくラングレーに移送されるのではないかと、冷や汗を流した記憶があるw
左のLoweproのフォトレッカーは当時使っていた機材用バックパック。右はキャンプ用品など詰め込んで機内預けにしていたダッフルバッグ。
9.11が起きるまでは機材満載のバックパックを容易に機内に持ち込めたが、今はこのサイズは国内線・国際線問わずもう無理だ。拙者がことさら小さい機材にこだわるようになったのも、この辺りが記憶の端緒だったりする。
デナリのポリクロームパスで極北の天狗様待ち。
アラスカもこの時すでに4回目となっていて、持ち込む機材はだいぶ洗練されてきた感あるが、今はもうこんなものを担いで歩きまわるのは勘弁だw
ちなみに当然三脚も現地には持っていっていたが、キヤノンの長玉には当時から手ブレ補正が付いていたので、ツンドラを歩き回る際は一脚のほうが便利だった。
米シアトル・タコマ空港にて。
9.11テロの日、欧州から米国へ向かう多くの便が、アンカレジ空港に足止めされたらしい。NYへ向かったはずなのに、窓の外にはイヌイットの顔をペイントした旅客機が沢山駐機していて、さぞ驚いた人も多かったろう。
尚、垂直尾翼のイヌイットの顔はアラスカ航空のマーク。