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大沼雲海

2018/10/22

今朝の赤城高原の日の出前の気温は3℃と、昨日に続いて今シーズンの最低気温を更新。もちろん日中はその寒さを引きずることはないが、この寒暖の差は秋特有のものだ。

寒暖差が激しい水辺では、露点温度に達した水分が蒸発せずに付近に停滞し、霧が発生する。風がなく空気が滞留しやすい低地や窪地など、地表付近に雲海のごとく霧が溜まる現象がこれに当たる。

そんなことでこの時期、放射冷却が見込める朝は赤城の大沼に小一時間ほど出かけることが多くなる。

FUJIFILM X-H1 / XF50-140mm F2.8 R LM OIS WR / PROVIA

FUJIFILM X-H1 / XF16-55mm F2.8 R LM WR / Velvia

予想通りの雲海となった赤城大沼湖畔。

鳥居峠付近は氷点下1℃で、覚満淵にはビッシリと霜が降りて、日が差し込むとフォトジェニックな光景が広がる。サンデー毎日なカメラ親父とカメラおばさん達が、押し合いへし合い木道に押しかけてシャッターを切っていた。

パッと見、親父たちのナイコン率が高いのはいつものことだが、オバさんにはEOSに混じってフジのX-T2が多いのは意外だった。さすがにZとRが見掛けなかったけどねw

そんな中、覚満淵ではジョウビタキの雄を今シーズン初認。XF100-400片手に証拠写真でもと思ったが、渡来したての個体は異常に警戒心強くて近づけさせてくれない..

終日多忙

2018/3/31

2日ほど仕事で都内を徘徊してきたが、怒涛の弥生の最終日は地元に戻ってきた。そんなことで今日は忙しくするつもりはなかったのだが、いかにも年度末にふさわしい多忙な一日であった。

朝からちょっとロケハンしていたのと、日中に藤原の大先輩と溝呂木の巨匠のご両名からデータを預かり、さらに夕方は地区役の引き継ぎ..来年度は区長など務めねばならなくなった、やれやれ..などしていたら、あっという間に夜になってしまった。

そして夜は夜で昆虫写真のカリスマ大家から送っていただいたデータのダウンロード待ちという状況に..

FUJIFILM X-H1 / XF100-400mm F4.5-5.6 R LM OIS WR x2 / Velvia

マサ先輩と昼飯食った際、店に忘れ物をしたため夕方再び沼田に戻るという無駄な動きをしてしまったが、その帰り道に裏赤城の裾野から満月が昇ってきたので車を停めて撮影。すぐ近くではフクロウが鳴き交わしていた。

それとこれは備忘録だが、溝呂木の新井先生宅から沼田へ移動する際、津久田でツバメを今シーズン初認。赤城高原ではまだこれからだが、桜に続いて続々春の便りが届き始めた。

ジョウビ渡来

2017/11/2

今朝、隣家の庭でジョウビタキを確認。例年よりやや遅いが、取り敢えず今シーズンの初認である。その後に近所の防風林や十二様でも見かけたので、昨晩のうちに皆で到着したようだ。

例のごとく、渡ってきたては警戒心最大なので、300mmではその姿までは撮らせてはくれない。レンズに捉えるにはもう少し時間が必要だ。

FUJIFILM X-T2 / XF16-55mm F2.8 R LM WR

秋に北部フィールドに足を運んだ際、必ず立ち寄るカエデの巨木。周囲に赤がそこしかないのでよく目立つ。

近くに同じような枝ぶりの木があったのだが、いつぞやの台風で倒れてしまった。こんな大きな木も風向きによっては無理な力が加わって折れてしまうこともあるのだ。

ソメイヨシノも樹齢など木によって結構差があるので、そこだけ切り取ると満開か!って見せ方になるけど、敷島公園では全体的にまだ一分咲き程度かな。

というのは朝の時点の話で、午前中はそこそこ気温が高かったのでそのまま開花する可能性もあったけど、午後には雨模様で結局気温は下がったので、やっぱ花見にはまだ早いね。

帰る道すがら、富士見と北橘でツバメをこの春初認。南面まで来ているようなので、赤城高原にもそろそろ姿を見せるかな。

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冬鳥一号

2016/10/25

今朝、ジョウビタキを今シーズン初認。姿はチラッと見ただけだが、演習林他数ヶ所でその声を聞いた。昨日の夕方の時点では静かだったので、夜のうちにやって来たと思われる。

水鳥を除けば、ジョウビタキは冬鳥の中では比較的渡来が早く、例年だと20日前後なのだが、ツグミ次第では今年の冬鳥はちょっと遅いかもしれない。

20161025

今朝は冷え込んだ。7時の時点で寒暖計が0℃だったので、日の出前後は氷点下だったと思われる。庭先の日陰はしばらく白く霜が降りていた。

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安中の後閑城址公園のソメイヨシノが満開である。背後に西上州の雄、妙義山と浅間山を従えるように咲き誇るソメイヨシノが美しい。

上野後閑城の築城は室町中期頃らしく、いわゆる戦国時代に端を発する山城ではない。東山道..後の中山道のこと..の要衝に位置し、他の西上州の城同様に武田氏の支配下に置かれるが、同氏が滅ぶと北条氏の支配となり、北条氏が滅んだのちの江戸時代には廃城になったとのことである。

20160408

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ちょっと前にツバメを初認した。今年は春が早かったように思うが、南から渡来するツバメたちには日本の気候はまた別の話だ。そんな渡来したてのツバメたちが、元気に本丸周辺を飛び回っていた。

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