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去る2月8日、藤原のマサ先輩こと動物写真家の飯島正広氏が亡くなられた。

飯島氏は早くから野生動物の記録には映像が適している判断し、NHKの生きもの地球紀行などテレビ放送の分野を中心に活躍した方である。

栗林慧氏が代表を務めるNPS(ネイチャーフォトスタジオ)の設立メンバーとして写真表現の分野でも著書は多数。アジア動物探検記(福音館書店)などアジアを中心に、東アフリカ・極東ロシア・ブラジルやアルゼンチンなど南米で精力的に取材活動をして来られた。

また、とかく動物写真というと目立つ大型の生きものをやりたがるカメラマンが多い中、ネズミの仲間やリス、モグラなどの小動物を対象に、大学のその道の研究者たちと一緒に活動していた。

特に近年は日本産コウモリ全種の記録を目指して精力的に取材活動を続け、残すところあと数種まで来ていたのに残念なことである。

あまり自慢げに成果を語る人ではなかったが、日本人写真家で初めてアネハヅルのヒマラヤ越えやユキヒョウをカメラに収めたのもマサ先輩だった。

個人的にカメラなどデジタル機器とIT周りをサポートさせてもらっていたが、Macが起動しないとかスマホがつながらないとかのやり取りももう無いのかと思うと寂しい限りである。

同じ県内の月夜野町在住で2016年に亡くられた植物生態写真家の埴沙萠氏とは親兄弟かのような関係を築かれていたが、一足お先にと言っておられた埴先生と再会を果たし、今頃は埴先生のお相手で一杯やっているかも知れない。

飯島正広氏のご冥福をお祈りします。

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FUJIFILM X-H2S / XF150-600mmF5.6-8 R LM OIS WR / CLASSIC CHROME / 藤原のあるみなかみのシンボル谷川岳

海野先生も小諸日記で書かれているが、我々が若い頃に憧れた先達たちの訃報が増えてきた。病気や事故という不慮の場合もあるが、やはり年齢制限というか老いには従わざるを得ない。言ってしまえば順番というやつだ。

何より自分がそういう年齢になったという裏返しでもある。小生はまだ死ぬ予定は持ってないが、病気や事故の可能性はもちろんあるわけで、さてその時に自分の順番だと割り切れるものかどうか。

ま、死んだ後は無に帰すのでどうでも良いことと割り切っているつもりだけど、さてさて..

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今夜は雪か?というほど冷え込んだ赤城高原を後にして、午後は仕事で上京し夕方そのまま新宿に移動、オリンパスギャラリーで開催されている海野和男先生の写真展「蝶・舞う」のオープニングパーティーに参加。

自然科学分野だけでなく写真界でも巨星たる海野先生だけあって、お祝いに集まった顔ぶれは、老若男女写真家たち他、カメラメーカーの関係者などメンツはそうそうたるものだった。

海野先生をしても純粋に蝶の写真展は4回目だと言われていたが、この分野での先駆者たる力作にはただ見入るばかりである。難しいことは抜きにしても、被写体が好きであることが見て取れるというのは素晴らしいことだ。

オリンパスギャラリー東京 3月31日~4月5日

昆虫写真の巨星(左:海野和男氏)と四足動物の巨星(右:飯島正広氏)が、顔を突き合わせて何やら怪しい談義。話の中身は秘密w

大先輩たちがこうしてまだまだ元気で現役あることは喜ばしいことであると同時に、それに続く後輩たちが頑張らねばという思いに駆られるのはそれもまた時代だろうか。

会場で偶然会ったマサ先輩とは、この後夜の新宿へと繰り出すこととなった。

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